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昔のことを思い出しながら

 最近、ちょっと「やりがい搾取」にやられた話を書きました。そして、サラリーマン時代の働き方も書きました。そして、もう一つ書いておきたい事があります。それは駆け出しSEだった頃の記憶です。
 人間の一つの機能として「記憶美化」や「回顧バイアス」などとして記憶を自動的に美化してしまいます。

美しい記憶もイヤな記憶も、最初は同じレベルで脳の中に記録されています。ところが人間の脳はうまくできていて、イヤな記憶には意識的に抑制がかかり、思い出しにくくなっているのです。一方、美しい記憶は思い出すこと自体が快感です。その結果、美しい記憶ばかりを思い出しやすくなり、そのたびに都合よく変化させながらまた脳にしまわれていくのです。こうしてイヤな記憶の方はほとんど思い出されず、美しい思い出だけがどんどん美化されていくのです

思い出が美化されるのはナゼ!?記憶を操る脳のメカニズムに迫る!」ヒトメボ

 かなり昔から知られている人間としての生存本能や生理現象のようなものなんですね。かなり昔と書いたのは、バブルが弾ける前(😁、大昔や)に「こんな辛い記憶を美化しちゃいけない」と決心して、例えば

  • クリスマス・イブに会議室の椅子をベッドにAM2時から5時まで就寝
  • タクシーを待つのに残業後、1時間は必要
  • 周囲の先輩がガンガン、身体やノイローゼになる

など「負の記憶」が沢山あって、これは忘れてはならじ!と考えたんですね。
 幸い(今はぶっ壊れていますが)記憶力は良い方で、当時の先輩などと時折飲んでいても、かなり正確に当時の様子を再現することができました(特に象徴的なお客さんの口癖とか)。先輩達には既に「でも、あの頃は良かった」に変化している記憶ですが、私には生々しく「負の記憶」でしたね。

記憶の美化は必要!

 で、この記憶を引きずっている事は一種のトラウマでしかなかったようです。当時の先輩達の苦行を考えると、根性が足りないと自分を責めてみたり、内臓から疲れるまで働かないと働いた気がしなくなるような「仕事の仕方」が当たり前になっていたわけです。
 ただ、こうした中でも、うつになって以後、特に認知行動療法などをやり始めてみると、こういった「負の記憶」から「良かった」を見出す努力をするようなチャレンジを始めていました。

  • やれることは充分やったし、今、あんな経験はできない
  • 「天才」と言われる人たちと出会うことができた
  • 笑顔で接していた先輩がノイローゼで倒れるまでに発していた言葉が実は「SOS」だった

など今となっては貴重な経験が出来たと言う事です。以前「劣等生根性」と言う私の特徴を書きましたが、その劣等生がどうにかこうにか、自信をもって働けた大きな要素の一つが、この時代の経験だったのは間違いないという事です。
 こう考えると、記憶を美化してはならない!なんて決意は全く必要なくて、寧ろ「良い面」を抽出する作業には記憶を美化していた方が当然、楽な訳です。

これって一種の認知行動療法?

 同様にパワハラややりがい搾取に出会いながら、その「悪い」記憶より、そこで出会った「良かった」を探す事って、結構、認知行動療法に近いものがあるのでは?と思っています。例えば他の部署に異動し、そこで同僚から「うっちー、よくあの人の下で働けたね。私、会社辞めるかも」と言われたような人との出会いも「反面教師」とすれば、その人を観察・分析していた頃の記憶は凄く役に立っていたなぁと思います(案外、外注さんや部下には好かれていた事もあります😁)。
 「日本おわた」や「外資なら実力次第だからね」とか聞くと、「小さな外資でマジで働いてご覧、日本の会社以上に『リーマン根性』で上の言いなり・ゴマすりで成り上がる事に専念するか、スタンフォードクラスの大学で修士は取っておかないと辛いことになるよ」「日本の会社みたいに『波風立てなきゃ定年までいられる』なんて事はありえないから」と思ってしまいます。しかも、外資の場合、白人同士のプライベートの会話に入れれば「お世辞」と「ホンネ」が聞き分けられると思います。日本が「本音と建前が非道い」と言いますが、そんなもんじゃありません(😁)。
 そう考えると、こうした外国人との付き合いも大きな学習で、劣等生が外国人と腹を割って話せるレベルになれた(?)理由の一つが劣等生(ついでに人嫌い)だったが故に、読書量が半端なかったこと。そして親からも呆れられるくらいアメリカ・イギリスのロックを聴きまくっていた事(「あんた、意味も解んないのに、よくまぁ聞くねぇ」と毎度言われてました💦)。の二つですね。
 劣等生と言うのは、案外、自分の中ではポジティブワードになっていて先程書いたような「スタンフォード出ました」ならまだしも「東大出ました」ぐらいだと臆せず「私、自慢する学歴はございやせん」となるのです(逆にスタンフォードクラスだと、学歴自慢より、専門知識の説明が凄いのでマウント取られた感もなく尊敬の目を向けてしまいますw)。全然「中学の時にもっと勉強しておけば…」なんて思ってません。それより劣等生だったことで得たものの方が多いと信じています。
 こういう風に考えていくと、過去に起きた親との軋轢も今では解消していますし(これも、うつの功績大です)、日々起きる自分の失敗に対しても「受け入れOK」となってきています。

そして今。「楽しいを見つける」楽しさ

 そして今、楽しんでいるのはXを含めた様々な人との交流(リアルの数は少ないですが)、日々起きるハプニングです。ハプニングの中には…と言うより、ほとんどがネガティブな事だったりするわけですが、ちょっと一呼吸置いてみて「こんな事、起きて面白いじゃん」とか考えてみると「楽しい」に変化して記憶されていきます。それに健常だったころにはスルーしていたような事、気づかなかった事でも、幸い、ゆっくりしか歩けない今では、自分の目に入ってきます。それも「楽しい」の材料にしていたりします。「あの散歩している犬、毎日会うよね」とか「おー、今日はゾロ目のナンバーのクルマをいっぱい見つけてるから良いことあるかもね」とか。書くと「どーでも良いじゃん」と思うような事ですが、私にとっては「良かったこと」として気持ちに収めています。
 で、毎日、帰宅すると神棚に手を合わせて楽しかったことを報告して、活動終了!がルーティン化しているのが今の一日ですね。
 あ、因みに一日の始まりのルーティンは、神棚に向かって「今日も前向きに楽しんできます!」って手を合わせる事ですね。

鬱くんが張り切っている日にも

 そんな中でも鬱くんが張り切って、頭がボォーっとしてたり気持ちが落ちている時、最近、ちょっと増えているのですがフラツキが多い日などでも「お、今日は鬱くんが頑張ってるね」とか「こりゃ、今日は注意して行けよって鬱くんが警告しているのよね」とかって受け止めていたりします。それだって頓服を飲んだりして気を落ち着ける必要に迫られる事もありますよ。でも、落ち着いた後で「うー、辛かった。だからうつ病は嫌なんだ」思うより「うん、鬱くんは収まった。お薬サンキュー」と思ったほうが鬱くんにしてやられる感が無くなるんじゃないかぁと…。劣等生で思い込みの強い私は思って行動しています。

今日も最後までお読み頂き、ありがとうございます。うつに負けずに行きましょう!

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