「倒す」は「面倒くさい」の裏返し
今回は精神疾患患者さんの周囲の方、そして感心のある方に向けて書きます。
今回の投稿は、精神疾患の人に向けたものではなく、その周囲の方や感心を持つ方に読んでいただきたくて書きます。
精神疾患患者さんでも、もし内容にご賛同頂ければシェアして頂ければ幸いです。
「倒す」とは
精神疾患を抱えた方のBlogやXのポストを見ていると「○○倒した」という書き方が目立ちます。「お風呂倒した」「歯磨き倒した」「シャワー倒した」とかです。
何となく雰囲気は判りますよね。そう「〇〇終わらせました」と言う意味です。が「倒した」には深い意味があります。私達にとってお風呂も歯磨きもシャワーも「ボスキャラ」、ゲームに出てくる強い敵キャラクターだったりするのです。それを倒したヒーロー・ヒロインとして敵を「倒した」と言う事です。
この深い意味と言うのを、物凄く簡略化すると「鬼のように面倒くさい事を終わらせた」と言う事なんです。
私には「面倒くさい」が禁句だった
私は元々ITを稼業にしていて「面倒くさい」は、殆ど禁句でした。「できる」か「できないか」をお客様や営業に聞かれた時に「できるけど面倒くさい」という人は確かにいます。が、私は、それが凄く苦手で「できるよ。でも物凄くコストに跳ねるよ」とか「やろうと思ったら、うちだけの技術じゃ無理だから、○○社と協力する必要あるね。ただ、〇〇社でも、その技術を持っている人とパイプ持ってる?」などの形で打ち返すのが通例でした。駆け出しの頃の教育の成果かもしれませんね(😁)、「面倒くさい」で「じゃ、やらなくて良いよ」なんて事にはならなかった訳で、できない理由を時に婉曲に、あるいは相手に最も面倒な事をパスすることで回避しようとした訳です。それが、年齢を重ねることで「面倒くさい」は辞書から消えて口にする事はなかったと思います。もちろん、奥さんから何かを頼まれて「面倒くさいなぁ」と思ったら「後でやるから」で回避していましたしね(😁)。
うつは全てを「面倒くさく」する
うつ病になると、特に急進期には思考が混乱しますし、全身はインフルエンザと同様にダルくなる上に鉛の鎧を着たように重くなり、会話することすら辛く、そして感情を表に出すことすらしんどくなります。
これ、簡単な言葉で表現すると「面倒くさい」なんですね。一番、都合が良くて的確な言葉なんです。その面倒臭さが全ての日常生活を「敵キャラ」に変化させます。お風呂もシャワーも歯磨きも敵です。特に晩秋から冬なんて、服を脱いで寒い思いをすることが辛いですし、服を脱ぐと言う行為だって面倒なんです。
知らぬ間にアタマの中で「面倒くさい」と思い始めたのは、うつの発症から暫く経った後でした…半年ぐらいですかね。まだ急進期を脱していなかった頃で、カウンセリングを受け始めた頃でした。そのカウンセリングの時にどんな会話の流れだったか「最近『面倒くさい』を言うようになりました」と言った所で、驚かれた記憶があります。多数の人は「面倒くさい」を言うものなんでしょうね。それを考えると、長年、禁句にしていた私だって「面倒くさい」と言うようになるんですから、そこは理解してください。
「面倒くさい」は「やりたくない」とはちょっと?だいぶ?違うんです
子供の頃「面倒くさい」と言えば、怒られたものでしたけど、その面倒くさいと、うつの「面倒くさい」は、結構、意味が違います。子供は「とりあえず、やらずに済めば良いや!」で言うと思うのですが、うつの人が「倒す」というくらいに「面倒くさい」事は「やらずに済ませられないのは判っているけど、今、気力も体力もないの」と言う意味なんです。これ、かなり違いますよね。
一つ一つの動作が辛い…。鉛に覆われた腕を上げることが辛い、重りを引きずりながら歩くことが辛い、腰の筋肉に剣山を突き刺されたように痛い。そして考えようにも自分の脳が動こうとしない。と、全ての動作が本当に厳しいのです。今は回復期にいる私ですが、それでも鬱くんの起伏があります。鬱くんが強い時には、本当に歩くことだけでも、立ち上がるだけでも艱難辛苦になってしまいます。
更に酷いとき
単に鬱くんが強いだけなら、まだコントロールができるところもあります。「ここで踏ん張らないと」とか「倒すぞ!」とかですね。でも、コントロールが効かないときがあります。
パニックや強い動揺がある時に、その上にMUSTで倒さない相手がいると、大の大人が泣きたくなる…いや、泣いてしまうこと、涙が止まらないこともあります。それでも何とか倒さないとならないのですから、本当にしんどい。特に例えば「針に糸を通す」ような事や「こんがらがった紐を解く」ような行為は面倒臭さを通り越して「GIVE UP」と言いたくなります。でも自分にしかやれない時もある、それも今すぐとなれば、一気に鉛の鎧に身を固め、震えが止まらず思うように動かない指を動かし、それでも倒すために、どれだけ時間を掛けてやります。
これ、出来ても、その後でリバウンドが出ます。リバウンド=鬱くんバリバリ状態です。深呼吸をしようにも横隔膜が痙攣したようになって思うような「ゆっくりとした呼吸」もできないのです。
こうならないようにパニックや動揺が起きないように、周りから見たら「スローモーション」になるような動きをしたり「なんで、それを見落とす?ボケてる?」と言うような事をできるだけ避けるようにしています(が、見落とすんです…)。でも、呆れないでください。それが、鬱くんを元気にさせて本体である自分が落ち込むような事を避ける努力は、健常な頃には全く考える必要が無かったのに…一生懸命やっているんです。
うつの人の「面倒くさい」を許してください
このように、うつの人…だけではなく、精神疾患を持っている人には外からは判別の付きにくい努力をしています。それを少し忖度して貰えるだけで、救われた気になるのが(多分、私だけではなく)精神疾患を持っている人たちだと思ってください。
「面倒くさい」という言葉が、SOSになっていたりもします。辛い状態を端的に表現する魔法のワードになっています。もし、お身内の方が「お風呂、面倒だから」とか「食事、面倒だから」と言っていたら、「面倒くさいとは言ってもね」と怒るのではなく、認める、あるいは諭すように話してみてください。それは精神疾患を身内にしている人には本当に「面倒くさい」事だと言うことは患者さん本人が良く判っています。「やるべきこと」だと認識していても「やれない状況」だと言うことを、ちょっとだけでも理解してもらえると、本当に嬉しいのです。
その嬉しさが、患者さんにとっては「良かった!」になります。良かったが増えると、鬱くんは元気が無くなってきます。影を潜めていきます。そうなれば、少しずつでも「面倒くさい」が減るような気がしています。これって、Win Winではないでしょうか。勝手な、そして自分の経験だけで書いています。私自身、奥さんに迷惑ばかりかけていて「面倒くさい夫」になっているのですが、それを承知で書かせて貰いました。
最後まで、お読み頂きありがとうございます。少しでも精神疾患の人たちへの理解が広がれば幸いです。