宗教と弱った心。ホッとできる場所
結論から
宗教にも種類があります。簡単に言えばカルトと大衆的な宗教です。日本なら、神道や一般的な仏教、カトリックがこれに当たると思っています。
「新興宗教は?」と言われると、新興宗教と言っても幕末から明治に成立した「教派神道」と呼ばれる宗教でもカルト的性格を持つものと、そうではないものとに分かれると思っています。
自説ですが、カルト的な性格を持つ宗教は、その宗教の布教に応じない人を「邪宗」として敵対視するものです。「イスラム教じゃん」と言うのであれば、それはかなり間違っていて、イスラム教「原理主義」となるとカルト的ですが、多くのイスラム教徒は世俗派として他の宗教を攻撃・敵対視するところを見たことがありません。寧ろ「無宗教」がヒソヒソと馬鹿にされる程度と思っていて良いでしょうね。
と、前フリが長くなりましたが、心が弱っていると、どうしても「救い」が欲しくなります。その救いは「お金」であったり「宗教」であったりすることが多いでしょう。そして心の弱っている人を「狙う」のは詐欺師とカルトだと思っていますし、一般の銀行や大衆宗教なら、そんな人を狙い撃ちにするような「融資」「投資」、そして「布教」「帰依」なんてしない訳です。
健常かつ弱っていない心なら受付もしない「うまい話」をしてくるのが詐欺師とカルトだと私は考えています。決して「ホッとできる場所」ではないと考えています。お気をつけください!
大衆宗教の経営
大衆宗教でも「坊主丸儲け」と言われるように、一般的には「お金儲け」が目立つように思われますが、実態としては、経営難になっているお寺・神社が少なく有りません。カトリックについては、正直、あまり詳しくないので判りませんが、多くの寺社は、喉から手が出るくらいお金が必要なのに「本山のお許しがない」とか「神社本庁が禁止しているから」という事でお金を稼ぐ手段がお寺ならお檀家さんのお布施、神社ならご祈祷の初穂料が大きな柱になっています(この他に、氏子料もありますが…)。その為、社殿やお堂が壊れかけていても修復費が不足していたり、宮大工さんの都合がつかなかったり、あるいは、消防法などの規定が変わって、それまでの付帯する施設・設備の費用が膨らんでしまったりして、修復が中々できないところも少なくありません。
「ここは人が沢山来てるから儲かってるんだろうな」と思われるかもしれませんが、実は、お賽銭は大きな収益になるどころか、最近では「小銭は銀行で手数料が…」と言う具合に利益に繋がらないですし、神社になると更に檀家さんと同様、固有の支援団体に当たる「氏子会」が縮小していく傾向なのですし、一般的にお布施や冥加料よりもご祈祷の初穂料の方が安価であったりして、かなり厳しいのが事実です。そして「お寺は檀家さんがいるから安泰」とも言えなくなっていて、最近では「墓じまい」として遠方にある檀家寺のお墓を近くのお寺に移す事も増えて、地方のお寺からドンドンと厳しい状況に入っている状態です。ですから、お布施やご祈祷料だけで左うちわで生活できるような時代は、ほぼ終わっています(神社の場合、神社本庁でお給料なども決まっていたはずですし)。
「儲かっている」という寺社の多くは、実は宗教行為よりも不動産収益が柱になっていることが多いのです。
だからこそ「ホッと」できる神社仏閣へ
先日も書きましたが「八百万の神様」と言うサイトもやっています。東京近辺のお寺や神社を紹介したり、神様や仏様の由来やご利益などを説明しています。
先日、ある人とXで会話していて「お勧めの神社ってありますか?」と聞かれ、色々と考えてリプしましたが、私の中で「お勧めの神社」は先日も投稿したように
・掃除が行き届いている
・宮司さんや住職さんの人柄が良い
などで纏める事ができます。ただ、もう一つあるのは「ホッとできる神社仏閣」です。
時々、(間違って)教派神道系と思ったら、ほぼ神道系新興宗教の神社(?)に行ってしまったりした経験も合わせて言うと、施設が幾ら立派でも私はお尻がムズムズしてくるし、そういうところに限って色々と説明をしてくれるのですが「うー、出たい」と気がそぞろになって説明なんて耳に入ってきません。これは健常だった頃からです(😁)。
特にペットボトルに入った水がお守りを隠すくらいに陳列されいたりすると「あ、やヴァ」と思って早々に辞去します。私の中では「小さなカルト」と認識しているんでしょうね。
逆に小さなお寺や神社でも境内に入った瞬間、境内も無いようなところだと社殿や祠に向かった瞬間「ホッと」できるところもあります。
理想で言えば、お堂や社殿に向かってベンチがあると、そんな神社仏閣では何時間でも過ごしたくなったりします。多分「気」が良いんでしょうね。
別にスピリチュアリストではありませんが、そういった神社仏閣は「聖域」だと思っていますし、大切な場所、いつまでもそこにあってほしい場所でもあります。
貴方にホッとできる場所はありますか?
健常で仕事をメチャクチャやっていた時でも、休日にiPhoneでメールをチェックしながら参拝行脚に出かけたりしていたのも、こういった「ホッとできる場所」を新規開拓したくて歩いていたような気がしますし、今は、比較的近場で知っている「ホッとできる場所」に足を運ぶようになりました。
公園でも図書館でも良いのでしょうが、ホッとできる場所が外にあると心には良いと思っています。お参りに行く時にワクワクしている自分に気づきますし、療養中心でストレスは少ないはずなのに、それでも澱のように溜まってしまっている事に気づく機会をくれる気がします。
しかも東京の場合、殆どの神社仏閣が拝殿や本殿、本堂などを拝観するのに費用は掛かりませんから安上がりですしね(😁)。中には、社務所や寺務所でお断りすれば拝殿や本堂などに上がらせて頂けるところも少なくありません。時にはお寺でご祈祷をしている最中などに上がらせて頂くと、とても清められた気がしてきます。そして、数は限られますが、お堂や拝殿で瞑想させて頂けるところもあります。禅宗のお寺なら、定期的に体験座禅をやっているところもありますしね。
そういう所で「ホッと」しつつ、マインドフルネスな時間を過ごすのは「良いこと!」とクリニックの先生やカウンセラーからお墨付きを頂いています。
読んでいただいている貴方には「ホッとできる場所」が家以外にありますか?もし無ければ、神社仏閣はお勧めですよ。東京圏なら、ご質問頂ければ、多少はお役に立てると思いますしね!