自己愛〜自分を大切にすると言う事

 自己愛というと「利己的」と言われそうですが違います!( ー`дー´)キリッ。
自分を大切にすることの大切さをうっちーなりに書いてみたいと思います。

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日本文化の中での自己愛

 日本では「他利」が必要と言われます。大切な考え方だと思います。ただ、この他利の精神が過ぎると、金属疲労のように心を痛めます。増して、それが「いやだなぁ」とか「苦手」とか思う人にまで「他利が大事」と譲っていると、とてつもないストレス…最近では身の安全も守れなくなってしまいます。
 自己愛を持つこと、これを言い換えると「プライド」です。日本人はプライドが低いとか言われることもあります。私自身、外国人と仕事の話をしていて「なんでお前は立派なプロフェショナルなのに、まるで自分をジュニアクラスのように評価してんだ!」と怒られた事もあります。これ、完全な誤解で、日本風の謙遜が外国人には理解し辛い訳です。これが、多々見受けられるから外国人に比べて「プライド低いよね」とされるのでしょうね。でも、実は日本人ってプライドが高いんです。その最大の歴史的証拠が切腹です。家臣や家来を守り、一身に罪を被りながら名誉ある「死」を賜われる武士の特権が「切腹」です。切腹をする事は名誉なんですね。命がけですが。
 そんな名誉の守り方が出来るのは日本人だけでしょう。そして、このような姿を描いたのが新渡戸稲造の「武士道」だったりする訳です。

自己愛と自己肯定とは?

 自分を愛することが自己愛、そのまんまでごめんなさい。そして、その自己愛に裏打ちされた自分自身を受け入れる事が自己肯定だと思います。
 これ、凄く大切な事だと想っています。
 うつ病の人、特に急進期を抜けた人にはお解り頂けると思いますが「うつ病です」と診断を受けて暫く、自己肯定なんてできましたか?常に自己否定をしていませんでしたか?診断を受ける前から冗談は「自虐的」なものばかり、失敗した事や心配事で頭の中は一杯一杯。専門的なリスク分析で言う(😁)「外部依存型リスク」であっても、自分の責任だと想ってしまいませんでしたか?
 これをやっていると、希死念慮と同居している状態になりやすいですし、希望も何も持てませんね。そして口を突いて出てくる言葉は「ごめんなさい」と「すみません」ばっかり。
 今の私は、自己否定を放棄しました。そして「ごめんなさい」よりも「ありがとう」が上回っています。多分「ごめんなさい」と言う相手は奥さんぐらいかな?😁
 こうなってくると、うつの自分でも肯定できてきます。「あ、うつになってから見えてる世界が変わってきてない?」「うつになってなかったら、こんな人と合うなんて無かったよね」とか、嬉しいことも増えてきます。それが私のアイコンの意味だったりします。
 表には常に自分自身が明るくいる。その後ろでは鬱くんは確実にいる。でも、隠す必要も無いし、できるだけ平和に同居しようと思う。と言うようになりました。うつも含めて「肯定」しているわけです。

きっかけは有ったの?

 実はきっかけがありました。ボランティアをやっている会社の実印が登記の為に必要になって手彫りの印鑑を作ってくれるお店に行きました。そこの親父さんと話していると「私もうつでしてねぇ」と言ってきたんですね。話は愚痴が主になりながら、親父さんは明るく話してくれます。そんな会話をしながら、さすがプロらしくせっせと必要な情報を纏めています。私はプロの仕事が好きです。で「こんな人もいるんだ」と想った瞬間、「私、うつになって良かったです。こんな仕事ぶりを見せられると、うつで諦める必要が無いんだって再確認できました」と言葉を発していたんですね。すると親父さん豪快に笑って「そりゃ、凄いや。そうだねぇ、うつでも悪いことばっかりじゃないよね」とお互い愚痴から前向きな話に切り替わっていったんですよね。
 これが自己肯定に突進するキッカケだったような気がします。

「だからうつは甘えだろフン」

 こんな事を書くと「うつは甘え」と言う人が集ってきそうですが、そんな事はありません。うつの人だって笑うし、冗談も言う。失った体力や機能を取り戻そうと苦しみながら、気味の悪い薬を飲みながら踏ん張っているわけです。それでも甘えだと言うなら、まぁ勉強してみてください。それでも判らなかったら、どこかの認知能力が欠如しているんじゃないですかね?😁

さて、自己肯定があるとどうなるっての?

 自己肯定が明確になってくると、自分で出来ることが明確になります。健常の頃にできて、今はできないことにクヨクヨせず、今できることに寧ろありがたみを感じる事ができるんですね。
 そうなってくると鬱くんとの同居が楽になってきます。そして、もう一つは自分に優しくなれます。甘やかす訳ではなく、自分のキャパを弁え、その中で行動ができるようになるし、時にチャレンジしてキャパを拡張するように少し追い込んでみることもできるようになります。このチャレンジに自己否定派の人が失敗すれば酷く落ち込むかもしれませんが、自己肯定派なら「今日は無理だったわ。(*ノω・*)テヘ」で終わり。落ち込む事は少ないはずです。
 そして、このチャレンジの中には「他人と話す」という事も含まれます。健常の頃の私は、実は人見知りで商談・社用なら主役で話すこともできましたが、それは仮の姿。あくまで、一人で沈思黙考している方が好き!ってタイプだったんです。が、うつになってチャレンジ!と思うと「あ、あの人と話してみよう」と思い、行きつけのお店はもちろん、初顔の店でも店員さんに「あれ?○○に似てるっていわれません?」とか、気持ちを込めて「ありがとう。お世話様でした!」って言えるようになりましたね。以前も同じように言っていましたが気持ちは籠もっていなかったのが良く判ります💦。

 逆に自己否定が募ると、どうしても前には向けませんよね。無理に前を向く必要はありません。ただ、下にあるような簡単な事から始めると自己肯定をしやすくなるんじゃないですか?

ある方から教えてもらった「良かったメモ」

 Xで色々な人と会話していて、ある人が「今日の良かったをメモしている」と聞いて、私も今、パクっています😁。ソフトウェア屋でコンサルティングをやっていた頃から、「あ、あのプロダクトで、これできそう!」と思うとメモにする癖があったので、小さなノートをポケットに入れておく事に抵抗が無いんですね。そして、それを取り出すことも。
 そして、当時は思いついたアイデアを書いていくって言う作業になるので、立ち止まって書ける場所を探してたんですけど、今は「あ、良かった」と想った瞬間に一行だけ「〇〇できた」「〇〇無事終了」と書くだけなので歩きながらでも書けます。当然、小さな「良かった」ばっかりです。でも、それって自分を愛するためには重要なんですよ。だって「うぉおおおお!すっげーツイてるじゃん」とノートを見ると思い返せるんですから。そうなると、自分のやっていることが間違っていないこと、そして自分がどれだけ恵まれているかを知ることにもなります。これで自分が好きになれるし、自分の心も豊かになってきます。

過去の成功体験と結びつけると

 うっちーは、何度か書いていますが「劣等生根性」が強い生き物でした。だから、人一倍の努力をして、人一倍の書物をしてコンサルティングをやっていました。自慢ではありませんが、そんな劣等生が東大出やアメリカのウンチャラ大を出て、英語ペラペラ、ITバリバリの人よりお客様に愛されてしまうと、当然、嫉妬か驚きがでます。嫉妬するやつはホットケば良いし、驚いてくる人には別に隠すこともないので、手持ちの資料は全部開示していました。でも、中々、真似できなかった観たいです。
 その理由をうっちーなりに考えると「小さな勝利を大事にしていない」と言うことです。どんな小さな案件でも、大企業の案件でも打ち合わせやプレゼンで「勝利」を重ねていかないと「契約!!成立!!」にはなりません。ここには駆け引きもあるし、予習もあるし、準備もある。そして相手のキーマンやうるさ型の人が「なるほどね」とか「そこ、次、深掘りしてくれる?」と言われれば勝利。契約なんてまだまだ先でも勝利です。
 逆に無茶振りしてくるお客さんもいます。「○○社、オタクのこと上手く使ってるけど、中身はどうなってるの?」と言われたら、基本、機密事項ですから言えません。そんな時は「もし、ご希望なら、〇〇社の方、ご紹介しますから会いに行きますか?」と答えます。また「〇〇社と同じにしといてよ」と言われても「同じと言われても環境が違えば、自ずと同じものを同じように設定しても動くことすらないですよ」と答えます。これで終わったら破談です(破談にしたいことも多々ありましたが😁)。が、「キチンと時間を頂けるなら、同様の効率化が可能かもしれませんね」で締めておく。これはこれで勝利です。この一回一回のやりとりで勝利を積み重ねて行ければ、契約までの紆余曲折があっても、契約書に捺印される方向に進みます。営業の仕事は割引料率の計算だけ(悲しいことに提案書だけではなく見積書まで書いていた私です…)、楽なもんです😁。
 この小さなな勝利を小さな良かったに置き換えると、自分が前を向くと言う毎日にの目標を完遂しやすくなっているような気がしますし、きっと、小さなノートが後押ししてくれると想っています。

そして

 そして、ノートにはもう一つの事を書いています。それは自分の夢…と言うより意図、意志です。それも「過去形」にしています。これって、実は「お花見」と同じ理屈です。
 お花見って「あー、桜がキレイだから一杯飲むか」で広まった訳じゃないんです。春が来て、その年の豊作を祈る為に神様にお祈りをする事から始まったと言われているんですね。きっと「こんなに見事な花が咲くなら、今年も豊作間違いなし」って感じでしょうね。それと同じで、例えば「良い人と出会える」とか「商売繁盛だった」なんて書いておいてます。
 つまりはアファメーションです。
 そうして、小さな喜びと大きな意図を並べておくと、きっと良いことが起きる事間違いなし!だと信じています。

今日も最後までお読み頂き、ありがとうございます。明日も楽しい一日でした‼😁

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