呼吸が熱かった頃

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内臓から疲れる。と言う意味

 私が「若手」として働いていた頃、世の中はバブルで浮かれいたという時期です。これ、今の人から見たら「幸せな時代」に思えるかも知れませんが、SEとして働いていた頃は地獄のような日々でした。営業職からは「接待費がさー」とか「昨日も飲みに行ってきて」と話を振られるのですが、SE側は毎晩、午前2時から4時の間にタクシー帰り(これは恵まれていたかも知れません)、家に帰ってシャワーを浴びて一時間ほど寝て出社。これを普通に月曜日から土曜日(会社は毎週二休制です)まで続け、2-3週に1回は全く休みなし。当然、三六協定なんていうのには抵触していたりするので、残業は「内緒で裏帳簿に付けておけ」となって私達は納得させられる状態。それでも残業は目一杯付けないと、裏帳簿とは言っても、処理ができません。だから、確かに収入は良かったと思います。が使うところも時間もありません。で、自然と全員、乗らないクルマを買うという行動に出るという状況でした(笑)。
 ただ、こんな状態で何年も働いていると人間マトモには居られなくなってきます。まず、ほぼ外注さん(いま風に言えばパートナーさん)を多く使って社員は一人状態だったリーダ格の先輩が無断欠勤、結果、家庭訪問した上司が「ノイローゼで病院連れて行った」という事で離脱。それがきっかけになって、他の社員にも身体の不調が広がります。女性の先輩は流産、エース格の先輩は自律神経失調症(今でも言うんですかね?)、私なんかの下っ端も普通に筋弛緩剤を飲まないと身体が硬直して何もできない状態になっていました。
 この状況がバブル崩壊で一段落しても、実は「バックログ」として契約が残っていたり、営業が寧ろ必死になって売り込みを掛けたりしたりで、崩壊以後も無茶苦茶な忙しさは止まりませんでした。いや、タクシー自粛や裏帳簿禁止令が出たりで、寧ろブラック化が推進された時代にINしたように思います。
 だからでしょうか、自分の中で「過去を美化しない」と言う意識が潜在的にあって、最近でこそ良き思い出として思い起こすようにしていますが、最近まで「あれは最悪な時期だった」と言うバブルを経験した世代ですが、その恩恵は殆ど受けなかった人もいることを知ってください(笑)。
 この時期、先輩が良く言っていたのが「疲れるってさ、段階があるよね。まず身体が疲れるじゃん。それから脳が痺れてくるでしょ。最後は内蔵から疲れを感じるんだよね」という感覚です。これは私なんかも経験していて、20代で既に腰痛に悩まされ(これが筋弛緩剤を服用しだした主要因)、頭がジーンとして気だるくなり、そして息が熱くなるという順で疲労の蓄積を感じるようになっていました。「息が熱い」と言うと熱があるように思われるでしょうが、検温すると平熱です。が、吐き出す息が熱を含んでいるように感じ「ふー」と吐き出してみると口の中に熱が籠もるような感覚に襲われていたんです。感覚的な問題でしょうが。

内臓から疲れる状態は追い込まれた状態

 この状態は、その後、ITバブルや外資のスタートアップの企業に転職しても感じる事が少なくありませんでした。そんな時は、必ず何かしら追い詰められた状態です。例えばお客さんには「バグをなんとかせー!」と言われてもアメリカなどの本社に連絡しても「使い方が悪いんだよ。仕様だよ」で対応を拒否される。それを「仕様と言うなら、仕様自体が可笑しいと言わせてやる」と、全部ではありませんが、自分も納得の行かない「バグ」があればヒッチャキになって調査して、日本語環境でしかおきないのか、それとも世界的に起こりうる問題なのか。使い方として回避策があるのか否か。本来、どういう仕様・使い勝手なら正解と言えるのか。を洗い出してアメリカに上訴(笑)したりしていました。そんな時には、やっぱり息が熱くなっていましたね。つまり、相当に自分が追い込まれ、どう正していくか…と言うより、相手の主張を覆す事が目的化していたように思いますが、必死になっていたのです。
 逆に例えばITバブルが弾けた頃などは、「無茶売り」と呼んでいたのですが、営業や生半可な技術職(SE)が売り込みをしてしまい、アメリカが言っていたように「それ、使い方が間違っている!」と言わざるを得ない状況が生まれていました。こうなると、お客さんとしては言われた通りに使おうとしたのに、使えない訳です。どうしようもないとなると、何故か私に声が掛かってお客さんにお詫びをしつつ、製品の本質から丁寧に説明しなければなりません。ただ、これの質が悪いのは同じ会社の人間が「嘘を言った」事になる訳です。実際「じゃ、◯◯さんが言っていた『すぐ使えるは嘘だったの?』」と言う質問が出てきたりします。こうなると、仕方ない「多分、営業としてオーバートークしていると思います」と言わざるを得ない。その上、お客様ごとに使い方や業務、バックグラウンドが違う。だから、使い方などをできるだけお客様ごとに説明していかなければならない。その資料を作るとなるとやはり息が熱くなるんですね。この頃になると私自身が先輩の言葉を私なりに変化させて「良い仕事しようと思ったら、経験と少しの怒りがないとできないよ」と後輩に伝える立場になっていました。でも、この状況は良くないですよね(笑)。

うつと診断される前も息が熱かった

 うつの前兆で内蔵がまともに動かなくなったり、情緒が安定してこなくなると、やはり仕事に集中すると「息が熱い」と思う時間が増えてきました。多分、いわゆる「アドレナリンが出まくっている」と言われるような状態だったのでしょうね。
 そして、この状態になるとバブルの時代と同じく休むこと自体が罪悪のように思えて、自分を追い込んでいくのです。そんな仕事ばかりやっていたので、これが習慣だし、そうしないと仕事をした気にもならない。良いものが作れるとは思えない。と言う強迫観念にもなっていたのだと思います。完全に壊れていたんでしょう。部下からも「うっちーさんって、仕事に厳しいとは思ってたけど、自分に厳しすぎますよ」と言われる状態でした。「うっちーさんは、ワーカホリックだからね」と言われる事も少なくありませんでしたし。でも、本当は休みたかったし、他の社員がやっているように私語雑談で一日過ごすような事もしたかった。でも、そんな時間はありません。タバコを吸うのだって、部下を連れて喫煙所に行って軽くですが打ち合わせです。そして、気づくと息が熱くなっている。時には「俺、頑張ってるじゃん」と自分を励ます材料にもなるのですが、実際には「休みたいよー」と言う自分がいたのです。でも、その休み欲求に従うと、営業や執行役員が勝手に約束してきた期限に間に合いません(もちろん「この状況で受けられるはずないでしょ!」と抗議はしてるんですよ。でも「約束しちゃったし、うっちーしかできないんだ。判って」と泣き落としてです)。

今はどう?

 急進期は不安が材料になっていたのでしょう、常に息の熱さを感じていました。これは本当に内蔵から疲れていたのかも知れません。息の熱さを感じて居た頃は健常だったころも今でも、胃腸の動きがおかしくなっていますから。でも、回復期に入ると、かなり減ってきます。ただ、私の場合、パニック障害的な部分があるのかもしれないのですが、動揺するような場面では息の熱さを感じる事があります。これは仕事で追い詰められて疲労で起きているのではなく、純粋に動揺・パニックによって引き起こされているもので、同時に動悸が起きたりもしています。それでも、その翌日などはお通じがなかったりと胃腸に影響が起きることが少なくないようです。出来るだけノンストレスで生きているつもりですが、不安が重なったり、自分の嫌いな事があったりすると、動揺を引き起こしたり、パニックに陥りやすいのが生きている証拠でしょうし、それが起きる閾値、ハードルが低くなっているのは確かです。
 特に、ここのところ、バタバタとしなくてはならないことが多くて、ちょっと鬱くんが強くなっているかもしれないですね。
 ただ、鬱くんと闘うつもりはありませんが、鬱くんに占領されるつもりもありません。すこし頭をのんびりさせて、バタバタと不安への対処法を考えて置く必要がありますね。無理のない範囲で頑張ります。無理があるかどうかは…息の熱さで判断するほどにはならないように…。その2−3歩前で止めたいです。

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