サイト名を「うつと生きる」にした訳

うつ、精神疾患は「完治」と言わない

 私が「うつ状態」と最初に診断書を書かれた時、医師から「すぐ会社に休職の手続きをして」と言われました。自分では「そこまで?」と言う疑問がありつつ、既に疲れ切っていた私には「まぁ、良い休暇の理由が出来た」と言う考えが浮かんだ記憶があります。
 ただ、ここから「うつ」と言うものを調べ始めます。もちろん(判る人には判ると思いますが)調べると言っても、普通にGoogleでサクッと検索して出てきた文字を追うのも辛い状態です。それでも、判ったのは「精神疾患は再発可能性が高いので、寛解と呼ぶ」と言うことでした。義母がガン体質なので「寛解」の意味は十二分に理解していたので「あらら」と言う思いと、通院したてで急進期に入っていた身にはかなり厳しい内容に見えたのを覚えています。
 そこから、無料ブログで「復活してやる!」と思ってブログを始めたのですが、急進期の真っ只中にある中での記載ですから、一つの投稿を書き上げるにしても2日は掛かる重労働でしたね。
 やがて浮き沈みを繰り返しつつ回復期に入って一つの悟りが出てきました。「うつと闘って抑え込もうとすると辛い事が増える」という事です。無理に「寛解」を目指し、復職をしようとしても再発の恐怖が増すばかり、浮き沈みの一つの要因がコレでしたから、焦って寛解を目指すなら「急がば廻れ」と古来からある通り、「うつと共存した方が良いのではないか」と考え方を変えたのです。

考え方を変えてから

 考え方を変えてから、あるいは、ちょうどそのタイミングが回復期の初期だったのか定かではありませんが、時に人とあった時に「うつになって良かったと思います」と口に出して言うようになりました。これも当然ですが回復期とは言え、服薬も必要ですし、今でも「ヤヴァイ」と思ったら頓服さんのお世話になっています。それでも「うつになって良かった」と思うようになれる事が増えたんですね。
 まず、急進期の最中、ケースワーカーさんと会話をしていて「障害者手帳取りましょうか?」と提案を受けて、「それって、なんか甘えてる事になりませんか?なんとなくサボっていながら…」と答える自分がいました。まぁ、急進期にしては立派な答えに聞こえますが、これはケースワーカーさんがちょっと厳し目に否定するんです。「まず、サボっている訳ではないですよ。うっちーさんは立派な病人なんです。だから先生だって休めって口を酸っぱくして言ってるでしょ。だから、そんな風に思わずに休めるだけ休んでください。それにね、障害者手帳で色々な特典と言えるような扶助がありますが、これも精神疾患の人が引きこもらずに出来るだけ外出機会を作ったほうが良い、コミュニケーションの機会を作っておいた方が良いと言う制度なんです。遠慮して引きこもったら、治るものも治らないんですよ!」と。
 今となっては、このケースワーカーの言葉は正鵠を射るもので、お陰様で少し遠回りして都営線や都バスを使えば世田谷から下町までかなり安く移動することが出来ます(電話料金も下がるのですが…docomoに纏めすぎて100円/月しか下がらないので未手続き)。
 それに「休めるだけ休む」と言う視点で言えば、コレまでの投稿でも書いてきたように長年の無理が祟っている部分が大きな原因だと思われ、それを時間を掛けながら自分なりに整理していく、つまり他の人に同じ轍は踏んでほしくないと言うような形で文章化していくことができるようにもなりました。そして、もう一つは「自己肯定」と言う低空飛行からの脱出方法を学習することにもなりました。この自己肯定の最初のきっかけが「うつになって良かった」だったのかもしれません。

こうして「うつと生きよう」と思った

 うつになって良かったと口に出し始めてから、徐々に自分の仕事の仕方が自己否定と強迫観念、そして嘘…ごまかしを強制されていたことにも気づくようにもなりました。前二つ、自己否定と強迫観念はお客様から信頼された材料でもあったのですが、特に外資の社員時代、そして外資クラウドの代理店として半分外資のIT企業の社員をしていた頃には、例えばプレゼンで自分が苦手な分野の質問に上手く答えられないと自己否定をして、必死になって本社や開発部隊などに問い合わせを掛けます。これも単に「わかんない」では答えてもらえないので必死に調べられるだけ調べて、時には本社の知り合いをツテにして専門家の助言を受けるようにするわけです。時差もありますから、このやり取りの時間をできるだけタイムリーに終わらせようとすると本当の意味で寝る間を惜しまないとなりません。そして、このモチベーションは「強迫観念」です。「折角ここまで案件を進めてきたんだから、ここでドジを踏むわけにはいかない」「自分が好きな製品を理解してもらうには必要な作業だ」と自分を追い込んで行くわけです。
 ここまでやれば、お客様も一定の納得をしてくれる事が増えます。「あの会社だと回答に1ヶ月まって『本社の方針で開示できません』で終わるのに、この期間で回答して貰えると助かるわ」とか、これが喜びにもなりますし、業績を上げていくポイントにもなっていたと思っています。ただ、当時から「命を削りながら仕事してんなぁ」とは思っていましたけど(笑)。
 そして残り一つの「嘘…ごまかし」ですね。自分のポリシー、あるいは若手社員の頃の先輩達からの教育の成果(?)だと思いますが「SEが嘘ついたら駄目だ」と言う事です。気楽に「出来ません」と言うエンジニアもいますが、その意味がメーカーであれば「うちの製品では出来ない」と受け取られる事もありますし、そのエンジニアのスキルが不足している言う意味にもなり得ます。どう受け取られるかは判らないんですよね。そこを詰めて行くと「テキトー」な言い訳をつけて自分のスキル不足を誤魔化す訳です。
 これが個人の付き合いの中でなら許されるのですが、会社間や(私は2度あったのですが)会社からのスピンアウトするような話の場合には耐えられない話になります。また、これをやる人が他の会社にも同様の事をやっているのを見ると吐き気がするくらい嫌になってしまいます。別に教条主義ではないのですが、やはりソフトウェアという目で見て分かりにくい世界で誤魔化しや嘘が大手を振るってしまうと、絶対に禍根を残すと思うのです。実際、私の知人が務めるアメリカの小規模な会社では「ソフトウェアの世界は嘘がまかり通りすぎるから、社内全体で嘘は無し!信頼性の獲得が絶対命題なのよねー」になっているそうです。ところが、日本のIT屋さんで、これを実践している会社…どれだけありますか?
 これを考えるとパワハラもあり激務もありましたが、もしかしたら、この嘘・誤魔化しに与しなければならなかった、そして自分自身が、その被害(?)に遇ったことがうつの原因だったのかと思えてきます。
 そして、うつを無理に早期寛解させるよりは、うつ病を抱えながら嘘ごまかしとは極力離れる事こそ、自分には大切なんじゃないかと思うようになった次第です。そして、それこそが「うつと生きる」と言う決心になったのです。

うつと生きる意義

 「うつと生きる」事ために必要なことは、うつの様々な症状を服薬や「うつに良い」と言われることを習慣化することだと思っています。先程書いたように引きこもらないことも、その一つですね。これをやっていると、通常の生活(ボランティア作業)をやっている範囲であれば、鬱くんが暴れだす事は余りありません。「余り」と言うのは、いつ出てくるか判らないからなんですが…。少なくとも「トリガー」となる事が減ってきます。そして、アファメーションや瞑想、そして以前にも書いたかと思いますが「嫌なこと」を「良いこと」に思考を切り替える認知行動療法のような事を実践している事によって、かなりブレーキを掛けやすくなったと思います。また、この事で自己否定から自己肯定へと志向が変わってきますし、その繰り返しで思考回路が健全になってくるように思います。
 これで、先程書いた「自己否定」と「嘘…誤魔化し」とは、一定の距離が取れるようになっています。残りは強迫観念です。これを自分なりに分解すると、
・自分はだらしない
・自分を奮い立たせないと何もしない
・何らかの成果を出さないと何もしていないのと一緒
と言う考え方があるように思います。
 実際、私は仕事なんてしたくなかったし(笑)、「成果や!実績や!」と言われ続けて若手時代を過ごしていた影響もあるんでしょうね。その影響は「休む」事で多少緩和されています。ただ、このサイトの更新やボランティア活動は強迫観念が影響しているかもしれません(笑)。但し「100%の力は出さない」という自分ルールを作って無理な作業やスケジュールは組まないようにしています。
 そして、もう一つ、私にとっては社会人になって以降、革命的な変化が「面倒くさい」と「知らない」を平気で言えるようになったことでしょうか。これが言えると、凄く楽ですね(爆笑)。
 若手の頃「もぉ、面倒くさいなぁ」なんて言おうものなら先輩から「面倒って何だよ」と叱られるなら兎も角…「面倒くさい理由を説明してみろ」と論理を打ち立てないと許されなかったのです。これがあるので、ベテランになってもお客様の面倒くさいリクエストにも「◯◯なので、お時間を頂戴します」とか「◯◯と調整して、対応の可否を連絡します」などと、自分の中で論理の成り立つ理由を賢明に打ち立てて、そして、それを実行するわけです。それはリクエストに答えると言うよりも、無理なリクエストを断るロジックを作る作業になる訳ですが。
 また「知らない」と言うのは、これは学校教育の影響ですね(古っ)。「うっちー、◯◯について答えろ」と言われて「知りません」と返すと「知らないじゃない、覚えてないんだ!」と言う教師がいたのです。だから、大人になっても「知らない」と言えなくなっていました。でも、今は身の回りは、例えばWindowやAndroidなどMacとiPhoneを使っている人間には未知な道具が溢れています。またボランティ活動の中でお会いする人たちのご職業や専門知識に対して「えー、それは知らない!」と言わざるを得ない場面も増えました。以前、IT屋で特にコンサルテーションをやっていた時に、そんな言い方をすれば鼻で笑われてしまった訳で…、知らない業界や業務の人とお会いする時には必死に一夜漬けでも勉強していたのですが、今は「その世界は素人なので」と「知らない」を言っても怒られない(内心、バカにされていたとしても気にしない)環境と考え方に徹しています。
 この二つの「技」。IT屋をやっていた頃には「禁じ手」だったわけですが、今は私の得意技…から口癖になりつつあります。
 そして、これが「うつと生きる」一つの方法になっているようにも思えるのですよ(笑)。そして無理に寛解をゴールにするのではなく、うつが治らなくても諦めることなく自分の人生を全うしたいと思っています!

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