神社仏閣巡りをしていて「うつ病」とかっていう話

さてさて

 秋もだいぶ深まってまいりました。神社仏閣ではイチョウ(公孫樹)の大木が見られるところも多く、銀杏の香り…と言うか匂いが季節感を更に強めてくれますね。
 そのせいか、周りで風邪を引いている人も増えてきたようです。健康には注意しましょう。

神仏に守られているならうつ病になんてならないんじゃない?

 この見出しみたいなこと。実は自分でも思ったことがあります。例えば、自分でうつを疑う少し前には、心霊スポットにもなっている都内の史跡にも立ち寄ったりもしましたし、何か神様を怒らせるような事でもしたかなぁ?なんて、思ったりもしたことがあります。知っていますか?日本の神様は基本はおおらかなのですが、怒らせると怖いんです。願いを叶える大らかな様子を「和御魂(にぎみたま)」、そして怒られている様子を「荒御魂(あらみたま)」と言ったりします。その荒御魂にでも触れるような事を?と考えても、思いつくような事はありません。
 急進期の辛い間、自己否定を続けている中で「なんで俺がうつに?」と考えていると、どうしても、その原因が仕事、職場にあっても、要因・トリガーとして何かがあったのか?とも考えてしまうんですよね。「あの神社、荒れてたしな」とか「成田山新勝寺にお参りした後で将門公にゆかりの神社にお参りしたっけ?」とか。まぁ、普通に考えると笑い話でしょうが、辛い最中には結構、真剣に考えましたし、お参りする時には、必ず神仏に「畏敬の念」を持って手を合わせるのが私の流儀なのに、それでもダメなのかよ!とか思っちゃうんですよね。
 でも、最近、それは違う。神仏がお守りくださっていても病気にはなるもんだ。と思うようになりました。

うつになって自分を見つめられるようになっただけでも良いじゃん

 以前、「うつで良かったと思えること」と言う記事を上げました。人それぞれ、
・うつと徹底的に闘う!
・うつをマイペースで治す
・うつと共存してても良いよね
・うつに負けそう
「うつ」を「病気」と置き換えて頂いても、年齢などと考えて頂いても良いのですが、色々な考え方があると思いますし、時と場合によって立場が変わることも自然だと思います。そして、私は、基本「うつと共存してても良いよね」派です。通っているクリニックを変えてでも最新の治療法で直したいとは思いませんし、うつに負けそうなほど押しつぶされても今はいません。
 うつと共存しようと思って、下のロゴマークをファビコンにも使っていますが、

うつと生きるロゴ
うつと生きる

 黄色が自分、できる限り明るく前向きに生きようじゃないか!という色、そして、その影にはグレーの自分、うつ病の自分が一緒にいる姿です。今は、グレーを切り捨てようとは思っていません。その力があれば、もっと自分に出来ることに使いたいと思っています。そしてグレーな自分を観察していくことで自分が過去にしてきた自分への強烈な負荷を少しでも経験値として役立てられるような気がしているからです。
 そうして、自分を観察するのも大切だし、今までそんな事をしたことがなかったのですから、それだけでも良いことだと思うのです。

自分を大切に=他人も大切に

 急進期に「どうして、こんな事に?!」と考えている時、パワハラや職場環境など様々な原因が浮かんできました。そして、それをしてきた人や会社に責任があると考えていました。が「憎悪」の感覚はありませんでした。多分。そして、回復期に入った頃からでしょうか、そういった人、あるいは過去に出会った嫌な出来事を思い出したら、時には口に出して「Purge!」と言うようにしています。時には粛清などと言う意味もある強い言葉ですが、私の中では「消えろ」って意味です。嫌な事を思い出しても、何も生産性がありませんし、嫌な人の顔が浮かんできたら気持ち悪いですからね(笑)。だから「Purge!」なんです。
 そして、できるだけ自分を大切に考えるようにしています。これは何度か書いていると思いますが、利己的に考えるのではなく、まず自分が自分を好きになり、そして大切にできなければ、妻を含めて他の人に中途半端な優しさしか発揮できないと思っているからです。基本は嫌な人(笑)も大切にできるようになるのが理想です。が、まぁ、その人達の顔を思い浮かべて「好きになろう」なんて考えると気持ち悪くなると思うので…Purgeしておいて、それよりご縁がある方を大切に!って思っています。
 その方が、自分に優しいでしょ(笑)

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