うつで良かったと思えること
「私、うつ病なんです」と自己紹介
うつ病になって以来、それまでお話をするような立場になかった人と出会うことが増えました。もちろん、精神科の医師も含めてです。
その他にも、自立支援の公的機関の人や区役所、退職後はハローワーク、父親の会社を立ち上げる手伝いで法務局など必要に迫られ、すんなりサラリーマンをやっていれば会うことも無かったであろう人と会うことも多いですし、趣味で続けている神社仏閣の人と会話する機会も増えました。
公的機関の場合、うつや障害があると受付や対応窓口が変わることも多いので自分から「うつ」を言う必要も無かったりしますが、それ以外では当初「うつ」ということに躊躇いがありました。が、最近は積極的に「うつなんです」という事にしています。それによって何か有利な事があってと期待している訳ではなく、まぁ近いのは時候の挨拶のようなものですね。時には「ギクッ」とされること、特に精神科の話をすると、それ関連のニュースがあれば、そんな反応が見られることもありますが、大抵の場合、それほど大きな反応がある訳でもなく、話のネタ、キッカケになるようなものです。年齢を重ねてくると仕事の打ち合わせでも病気ネタが挨拶代わりになる事が増えますが、その一つみたいなものですね。
少ないですが、時には同じようにうつになっている人と出会うこともあります。そんな時にはお互いの症状や辛い事を話しつつ励まし合いながら笑顔で話ができるので有り難い事だと思っています。
出会うことが増えたことで
出会うことが増えたことで時にはストレスが増えたと思うこともありますが、気が晴れる事の方が多いような気がします。特にプライベートなどで会う場合には、ただ生きていたら知らなかったこと、気づかなかったことに直接触れる事が確実に増えてきて自分の中にある好奇心が刺激されて、勉強になることが増えてきます。IT畑に居た頃にはコンサルテーションとして前線で様々な業種、職階、業務の方とお会いすることも多くて楽しかったことが多かったのですが、その頃よりも確実に数が少ないのに幅広く、かつ多様なお話や職場を見ることも出来るのですから、経験値の増え方が尋常ではないんじゃないでしょうか。
その上に、こちらから「うつ」と言う病気、そして障害の事を事前に伝えていることで、相手の方も胸襟を開いてくれているような感じですね。これが鬱々とした表情で話していれば、気を使わせて終わってしまうのかもしれません。が、こんな時には自然と自分のスイッチが入って笑いながらお話をしているので、こちらに伝わるような気遣いはなく忌憚のない話を伺える事が多いのですね。時には参拝の時に神社仏閣の経営の話になってみたりして、お相手の裏話を聞くことも少なくありません。ふと考えると「他人の愚痴を聞く鬱病患者」と言う奇妙な光景になっていたりするようなものです。
それだけじゃない「うつで良かった」と思えること
このように色々な人とお会いできる機会が増えることは私にとってはとても大きな喜びになっているのですが、先程書いたように父親名義の会社立ち上げで、正直、それほど多く行き来していなかった両親との会話の機会も増えてきました。これは結構大きいかもしれませんね。
そしてもう一つが「当たり前」に気づく事が増えたことです。例えば、妻の行動を見ていて、当たり前にやってもらっていたことにとても有り難い思いが増えてきましたし、食事や買い物に出た時に今まで以上に「ありがとう」「ごちそうさま」が言えるようになっていますね(今までだって言っていたのですけど-笑)。
サラリーマン人生の多くを外資や外資の入った国内企業で過ごしていた私の場合、ただ日本人に囲まれていること、日本語で会話する環境よりも日本の良さ…当たり前には気づいていたつもりだったのですが、今は更にその延長線上にいるように思います。サラリーマンのキャリアを終えた会社は純日本の会社で「当たり前でしょ」と言われることが多かったのですが、その「当たり前」に不条理を感じていた人間としては、逆に日本の良き「当たり前」に気づけている今は自分にとって豊かな時間を過ごせているような気がするのです。もちろん、重症のうつの方には人とのコンタクト自体が厳しい事だと知っていますが、一人で外出が出来るレベルの方なら、もしかしたら同じように感じている方もいるのかも?と思っていたりします。
役所でも従来は「紋切り型」「お役所仕事」と言う悪いイメージしかありませんでしたが、自立支援や障害者手帳、そして障害年金、更にはハローワークでも対応してくれる人たちが非常に親切にしてくれるので気持ち良く手続きをすることができます。
こういった一つ一つを一日の終りに思い出して「今日の良かったこと」を噛みしめる事は、ちょっとした向精神薬効果をもたらしてくれているような気がします。