◯◯しなくちゃ。を減らす→自己肯定感
ウチの奥さんもですが「◯◯しなきゃ」と言うと、とても辛そうに思えます。多分、辛いんでしょうね。そして私自身も「今日中に〇〇しなきゃならんのよ」と言い続けて仕事してきました。辛かったです。
と、考えると、この言葉ってメチャメチャ自己肯定感を下げているような気がしてきたので、今回の投稿テーマにしようと思いました。
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自分を追い詰めたり、脅迫していないだろうか?
〇〇「しなくちゃ」ってワードには自分を追い詰めたり脅迫しているような感覚があります。というか、前述の通り私自身が使っていた時には完全に自分に対するノルマを達成するためのワードになっていました。
元来が怠け者の私には、これが無いと動けなかったんでしょうね😁。
ただ、これを多用していると、達成しても「良くやった」ではなくて「できて当然」と言うレベルにしか感じられませんでした。これじゃ、自己肯定感も成功体験にもならないですよね💦。
今の自分は言い換えを実践中
離職してからは劇的に「◯◯しなくちゃ」は減った訳です。発症直後は喋ることが殆どなかったのも(出来なかったのです)、思考もマトモ「面倒くさい」しかなかった(ような気が)するので、それを考えると、当時は皆無。その後は仕事はしていないので「〇〇しなくちゃ」を言わなきゃならないタイミングも、考えなければならない状況も激減しました。そして回復期に入り認知行動療法を知ってから、段々、自分をストレスフリーにしておきたいと考えている中で「マイナスなイメージを持つ言葉はなるべく使わないでおこう」と考えるようになりました。
以前にも「どうせ」だとかを使わないということを書きましたが、「〇〇しなくちゃ」も使いません。とは言え、実際には使わなければならない事もあるのが「◯◯しなくちゃ」と「どうせ」の違いです。
「◯◯しなくちゃ」を使うタイミング
例えば「あー、面倒だけど役所行かなきゃ」なんて言うのは、完全にMUSTで使ってしまうタイミングですね。でも、例えば「人に合わなきゃ」と言うタイミングを考えてみましょう。
a. 好きな人と会わなきゃ
b. 嫌な人と会わなきゃ
この2つがあり得ます。bはイヤイヤ会う訳で、避けられない理由があるんでしょうね。でも、a.は何処かにワクワク感があります。それなら、言い換えませんか?「好きな人と会える」にすれば、もっとワクワク感が出てくるような感じが出ますよね。
b.に逃げ道は無いのか?
では、bには絶対逃げ道が無いのか?と言えば、そんな事もないかなぁと思います。卑近な例になりますが、今日は区役所に行ってきました。別日でも良かったのですが、まぁ、早めに行っておいた方が良いし、いずれは「行かなくちゃ」状態になるので、今日、行くことにしたのです。
で、思いついたのが「たい焼き」です。世田谷区役所に行くのに便利なのは、東急世田谷線かバスなのですが、バスは「世田谷区役所入り口」と言うバス停がメジャーです(ここから区役所までは少々遠いです(´;ω;`))。で、このバス停の近くに「ちよだ」と言うたい焼き屋さんがあるんです。そう「たい焼きを食べるついでに区役所行こう」に変換しちゃったんですね。そうすると「〇〇しなくちゃ」を使う必要はなしになりますね。
それが出来なければ致し方なく使うことになるんでしょうね。
認知行動療法との関係
正直、研究者でもないので認知行動療法との関係は分かりません。ただ、認知行動療法が一般的には「起きたこと(過去形)」に対する認識を前向きに変換する方法だと思いますが、こちらは「起きること、起こすこと(未来形)」への認識を前向きにする方法です。うつが辛くて動けない時を経験していると「それでも動けない」時はあるのです。が、「ちょっとダルい」という時に何もせずに後悔するなら、動くための動機づけになると思っています。嫌がる子供を外に連れ出すのに「おもちゃ買ってやる」って言うのと同じですけどね😁。
そして、動くことへの抵抗感を減らし、動けたことに自分で目を向けられれば、自分を褒める事、自己肯定することができると私は思っています。
言い換えるだけで前向きになれる。自説ですが、試してみてください。
今日も最後までお読み頂きありがとうございます。
ただで自己肯定感が上がれる材料、また見つけたら書いてみます。
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