神社仏閣で瞑想

お寺はお堂に上がれるところが結構ありますよ
神社仏閣はかなり巡っています。仏閣だと密教系、特に真言宗の大きめのお寺だと自由、あるいは一定時間ごとにお堂に上がって読経を聴いたり、仏像を拝むことが無料でできるところがあります。また、お寺によってはお堂で瞑想をさせて頂けるところもありますし、禅宗(臨済宗・曹洞宗など)だと、無料で座禅教室を実施しているところもあるんですよね。
時には重文級の秘仏を間近で拝みながらご祈祷をやっているところに立ち会える機会もありますから、歴史好き・仏像好き、そして護摩焚きなどはちょっとスピリチュアルなところでも惹かれるところがあると思っています。
こう考えるとお寺は、意外なくらい自由に御本尊や寺宝の仏像に近寄る事ができるし、修行の体験や自分を見つめる時間をくれる場所になっていたりします。
神社はと言うと
一方、神社は「昇殿」と言って拝殿(よく「立派なご本殿ですね」と言っているのが拝殿で、その奥に小さな本殿が設えてあります)に上がる事ができる機会や場所はかなり限られますね。
その大多数は「御祈祷」。初詣や七五三などでご祈祷をお願いすると昇殿が許されますよね。
コレ意外で昇殿が許される神社は、とても少ないです。私が知っているところは、都内で3社。
一つは名前を失念してしまったのですが、拝殿の天井におびただしい数の馬や馬に乗った人の絵が飾られているので、それを拝観する為に社務所でお願いすれば、すんなりOKがもらえます。
もう一つは浅草近く、銀座線の稲荷町駅の由来にもなっている下谷神社さん。こちらも、社務所にお願いすれば、天井画を拝観することができます。こちらの天井画は高名な日本画家「横山大観」が描いた龍画なので、本当に一見の価値ありですし、記念にその龍画をあしらったお守りを頂いていくのも良いと思います。
そして最後に紹介するのが広尾駅近くにある廣尾稲荷神社です。こちらも天井画の龍画が有名で、社務所にお願いをすれば昇殿の上、拝観することができます。
どちらの神社も撮影OKなので、気軽にスマホで撮影していくと縁起物の壁紙・背景になるんじゃないでしょうか?(と、横山大観の龍を壁紙にしたMacで龍の尻尾を長めながらBlogを書いてます😁)。
廣尾稲荷神社を最後に回した理由
廣尾稲荷神社の龍画は「藍川藤原孝経」と言う日本画家が幕末に描いた龍画で、相当に大迫力です。ただ、残念なのは平成の始めに過激派による放火があり、全体に煤けてしまっている印象を与えてしまっているところですね。ただ、龍画だけではなく、幕末に建てられた拝殿・本殿ともに仕掛けられた次元発火装置の餌食にならなかったのは、やはり「御神徳」というものなんでしょうかね?
さて、この画家…絵師さんの名前を書いても殆ど誰も知らないと思いますが、この絵師さんが後に西洋画に筆を持ち替え「高橋由一」と名乗るようになると、ご存知の方も増えるかもしれませんね。有名なものでは「鮭」、「花魁」(リンク先はいずれも「文化遺産オンライン」)、「豆腐」は見たことのある人も多いのではないでしょうか。
日本で最初の西洋画家としても知られていて(一般には黒田清輝と言われますが、高橋由一の方が先とされています)、ほぼ独学で技法を突き詰めていった大画家です。
さて龍画ですが、煤けているとはいえ眼力の圧力は凄まじいものがあり、拝殿に入ると背筋を伸ばしていないと怒られそうな迫力が今でもひしひしと感じられます。
そしてもう一つの理由は、ここで瞑想をさせて頂けるんですね。基本30分。社務所は港区から派遣されたシルバーの方が多いので「撮影に30分も?」と驚かれる方もいらっしゃいますが、「瞑想をさせて頂けると嬉しいのですが」と言えば、大抵の方はOKを出してもらえます。
そうすると、お稲荷様の前、龍の下でゆったりと瞑想が出来ます。もちろん、龍画の撮影や拝観をする人をSTOPや邪魔をする訳にはいかないので、隅によって小さくなっている必要があります。が、私にとっては貴重な30分で、その間、お稲荷さんと対話をしているイメージの中で過ごすことができます。
社務をやっているシルバーの方は交代で勤めているので、中々、同じ人に会うことは少ないのですが、今日は珍しく何度もお会いしている方が当番で「だいぶ顔色が良くなりましたね」と言って頂けました。お医者さんよりはたまにしか会えず、それでいて全く知らない人が時間を経て客観的に「元気そうで」とか「ちょっと疲れてますか?」と言われると「見ている人がいる」と思って嬉しくなってきますね。特に「元気そう」と言われると、それまで荒波に会いながらも乗り越えてきた甲斐を感じることができます。もちろん、お稲荷さんや龍のお力は物凄く効いていると思っていますしね(😁)。
私が大きい神社・有名寺院にこだわらない理由
このように絵や彫刻、そしてお堂や社殿などの文化財と街角で出会えるのが神社仏閣巡りの醍醐味だと思うのですが、その上に佳き人と出会える事が私にとっては大きな魅力です。
これが大寺院・大神社だと中々「馴染み」のお坊さんや神主さんはできませんが、それ以外なら「お、また来ましたね」などの挨拶から始まって徐々に馴染み、そしてその宗教や神様、宗派や仏様など色々な事を教えてもらえますし、逆に私のにわか知識でも案外「えっ、そうなの!」と情報源になって約だったりしているようで嬉しくなります。こういう関係づくりってサラリーマン時代は中々味わえない(土日休日は、どうしても混んでたりしますしね)もので、うつになって自分の時間が取れるようになったお陰かもしれませんね。
今日も最後までお読み頂き、ありがとうございます。
