居場所が無くても生きてるだけで立派

希死念慮が浮かんできた時に

 私は希死念慮が薄い方でしょう。それでも消えてしまいたくなる時、息が止まってしまったらなぁと思う時ってあります。
 それを乗り越えた時に自分に「生きてるだけで立派だよ」と褒めています。
 自分を褒めるの好きですし、褒められて伸びるタイプなので(😁)

失敗したって良いじゃない

 私は失敗、ドジ、沢山やってます。奥さんにも叱られまくりです。でも、そんな時にコッソリと「失敗したって良いじゃん」と自分を励ましています。失敗やドジをした事は事実ですが、それを取り戻そうとしても出来ないことが殆どですよね。だから、自分の失敗を引きずらないためにも、できるだけ「失敗したって良いじゃない」と言うマインドでいます。もちろん、奥さんを始め、迷惑を掛けた方には申し訳ない気持ちは満載です。が、それを引きずっているだけでは改善しませんし、鬱々としている方が迷惑なんじゃないかな?なんて勝手に思っているんです。

居場所がなかった時

 私が最後に勤めていた会社で私は完全に「異物」でした。ある会社を辞めて、別の会社に移ったのですが、その会社では収まりが付かないと思われたんでしょうね、親会社へと移ることになりました。辞めた会社では(も)、やりがい搾取が酷すぎて辞表提出を半ば強要されたのですが、それまでは社長を含めて会話もしていましたし、それなりに認められてはいたのですが…最終的には、多分、うつ発症の一歩手前、どうにも「辞めろ圧力」に対抗出来ずに辞職。そして、親会社では一応「新規事業の担当」と言う役割はありましたが、完全にそれまでの外資でのキャリアも含めて「異物」として扱われていたと感じました。しかも「ペーペーだからな」と言われる始末(😁)。
 そんなこんなで「子会社上がり」扱いがあり、一方で「外資を鼻にかけてる」と思われ。自分は全く、そんな事はハンデともマウントを取ろうとも思っていなくても、そういう先入観で観られていたのは明らかでした。だって「うっちーさん、エレベーター乗るの?」と言われて「はい」と答えたら、階段を使いだした人までいましたからね(😁)。異物より汚物か。
 仕事も上司の指示もあって、他部署との交流はほぼゼロ。その理由は、私自身も判っていました。「そんな事、うちの会社でできると思う?」と何でも逆風が吹くからです。だからでしょうかね上司さんは「庇えなくなるから、報告だけは上げてくれ」と言われ続けていました。「庇う?」と疑問符付きで理解していましたが、それって上司も含めてスピンオフするための作戦だったので本来の表現は「作戦を上手くいかせる為に必要だから」と言うべきなんですけどね。
 で、これを続けていると当然、周りとの交流はない状態。完全に居場所がありませんでした。コロナ禍前には、ほぼ協力会社での打ち合わせのために外出に終始。コロナ禍に入ると強くリモートワークが推奨される。となると出社するのは週一程度です。で、自分の席に座ろうとすると「うっちーさんの席、替わりました」と言われてドギマギしつつ、新たな席に移動すると言う事が毎度。ただでさえ「居場所ねぇなぁ」と思っていたのに、これでは完全に「俺の席、喫煙所にしてくれないか?個室で」と言いたくなるくらいのレベルで会社の怖さを感じ続けていました。
 これでは会社に在籍している意味は薄っぺらい「給与」だけ。それも数年で退職…。生きる意味も見失っていったと言うわけです。

結果、うつになった訳ですよ。で、今は?

 まぁ、他にも色々な積み重ねもあって精神疾患「うつ」となった訳です。で、今の状態で、その会社を恨んでいる?どうにでもなれと思っている?と聴かれたら、それは「ない」です。
 そんな気力も無いんですが、それ以上に「それはそれで経験だから」と思っているのです。恐らく、こちらから積極的に接触することはありませんし、接触するとしても立場は全然違いますから異物と見られようが落第生と思われようが構いませんし。おそらく、殆どの社員は私の事を知りませんしね(😁)。
 それより、私が強く思っているのは「うつになったことで良かったよね」と思うんです。先程書いたことって、ほぼ「やりがい搾取」です。が、それも含めて良い経験だと考えています。
 うつ病は辛いです。出口も無いし、調子が良いと思っていると唐突に気持ちが落ちてきます。それでも、居場所のない会社に勤めているよりも良かったんじゃないのかなぁと思うんですね。お給料が無くなったのは、当然、痛いです。奥さんにもメチャメチャ苦労を掛けています。
 が、それでも病を得て職を失ったことで見えてきたことも増えましたし、何より夢・願望・意図が生まれてきました。自分を励ます事、褒めることにも慣れてきました。他人に対しても同様です。会社ではありませんが、いきつけのお寺やお店ができて、ちょっとした話ができるようになりました。勤め人をしていた頃よりも、外での会話の総量は増えているように思います。
 それだけでも、かなり良い事だと思っています。

特定の場所で「居場所」が無くても別の場所なら有るかもしれない

 居場所がないのは辛い事です。本当に自分が「空気」になっているような気になりますし、時たま話しかけらると気には「嫌味」か「注意」。「空気」よりも「排気」になったような気すらしました。それでも仕事量が多いと、それに気が紛れている部分がありますが仕事量が減ると、一気に「空虚」になってしまいます。
 それを考えると私に居場所を作らせてくれているのが、今は「うつ」と言うのが不思議というか、佳き病気(😁)というべきか…。
 またXも大きな役割を果たしてくれています。正直、精神疾患アカウントを作って、それに関連するアカウントを作り、同様に病気に悩み苦しむ人達が一生懸命に生きている姿を見ているだけで勇気づけられます。最初は「保護しろ!」とかと言う感じの声が溢れているのかと思ったら、自分の経験でお話ができる人がいたりもして保護されるべき(有資格者)が、その保護を知らない事実など、新鮮というべきか…クリニックによっては患者の経済環境を意識していないという実態を知ったのも大きなポイントでした。

生きているだけで、凄いことなんですよ

 私自身、恥を晒しながら生きてます。が、それでも凄いと思っています。今まで出来なかった経験や勉強をさせて貰っています。これも「うつ」「精神疾患」の効能ですね。
 そして生きることの大切さ、生き残ることが自分のやらなきゃならないことだと思っているのです。見返したい人がいれば、見返せば良い。迷惑かけた人に恩返しするにも生きていればこそ出来れば良いんですよね。その思いを持っているだけで、そこら辺の金持ちより心豊かなんじゃないでしょうかね?(😁)。

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