追い込み癖のある私〜落ちこぼれ〜

 どうも、これは癖で自分を追い込む事を「チャレンジ」だと思って実行してしまいます。
 その結果が昨日みたいな感じで疲れちゃうんですよね。

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追い込み癖の原因

 私の追い込み癖は、昨日今日始まったものではなく、多分、高校ぐらいまで遡る…あ、つい最近か(😁)。と冗談は抜きにして、何十年も当たり前にやってきたことだったりします。良く言えば「ストイックに追求する」タイプとでも言うんですかね。そういうのに憧れと言うかシンパシーみたいなものを感じていた部分もありますが、それ以上に「劣等生」だった中学時代に源泉があります。

落ちこぼれ中学生

 当時は金八先生やら何やらと学園モノのドラマも多くて、雑誌などでも「理想の先生」みたいな「像」が描かれていました。が、当然、現実とは乖離していて、中々中学に馴染めなかった私は、ストンと落ちこぼれと呼ばれる、今なら学校カーストの最底辺に陥りました。
 特に三年生ともなると三者面談やらアンケートやら進路に関する話題がホームルームでの主題に取り上げられたりする訳です。で、今でも忘れられないのが進路アンケートに「BIGになる」とか「プロ野球選手」(学校に野球部自体無かったし、シニアリーグも無かったのに…)とか書いている連中もいたのですが、カーストが真ん中よりチョイ下ぐらいまでは担任の反応は「まぁ頑張れ」とか「次は、もう少し具体的に書け」なんてコメントがあるくらいで、基本は、ササッと目を通してスルーされた訳です。なので、私もスルーだろうなと安心して、時間が過ぎるのを待っていたのです。が、「えーと、次、うっちー!!!」と、突然大きな声がして「ん、なんだ?高校行って、それで大学ぅ〜!?」(げらげら)。更に書いたことを全文、読み上げたんですね。そしてコメントが「お前が大学か?聴いたか?みんな?」と晒し者になりました。
 顔が赤くなると言うのが通常の反応でしょうが、真っ青になった記憶は今でも生々しく記憶に残っています。更にクラスから笑い声が上がり、中には振り返って「お前なんか通信に行けば良いんだよ」と言ってくる連中もいるくらい。自分が本当に「落ちこぼれ」なんだなぁと痛感しました。

高校で考え方を変えた

 そんな事を言われながら、アホではあるけど大学の付属校に行く事になり、一応、目標として書いた道筋が現実感を持つようになりました。ただ、大学に進学するにはアホすぎてハードルが結構高くて、進学するには
・三年間、習熟度別クラスで進学クラスに居続ける
・一部学部は、アホ付属にハンデ係数をつけているので諦めておくこと
・最後の進学テストで学部ごとに決めている偏差値を超えること
 ※ アホ付属にはマトモな学部に進もうと思うと激しいハードル
・停学処分をくらうと一発アウト
と、一般的には大した事ないのですが、アホ付属にとっては
・進学クラスで文系・理系の選択を謝るとアウト
・マトモな学部での選択肢は少ない
・国語は得意(好き)だが、他の科目では中学時代に「おわた」状態
・周りは「停学上等!💢」みたいな連中ばっかり
なので、進学への阻害要因が凄かったのですよ😁。
そこで、決めたのが「大学は行く。そこで遊ぶ。その為の作戦を考える」です。
で建てた作戦が、
・数学は捨て。同時に理科系に進むことも捨て
・国語・社会は模試でも上位に入れているので、今まで通り好きな本を読み続ける
・どうやら英語は中学レベルの単語・熟語を覚えればOKらしい
 → 文法が大嫌いだったので、ラッキー。付け入る隙あり。
という事で、国語・社会は勉強なし。兎に角、英語の単語と熟語に力を入れる。で、何とかなりそうだ。と言う勉強面の作戦。そして、もう一つが、仲良しが「停学上等💢」でしたから、仲良し連中に「俺さ、知っての通り落ちこぼれじゃん。だから、大学行きたいのよ」と正直に話して、通学の電車の中などで英単語などの暗記をやってても邪魔をしないようにお願いしました。幸いだったのは、この仲良したちが、そのまま受け入れてくれた事でしたね。
 さて、ここから追い込みが始まります。「今日は、このページからこのページまで覚える」、「多量に宿題が出れば、その日の中に終わらせる」。これをキチンとやると親も驚きますわね😁。だって夜中まで単語帳に参考書から書き写しをし、一方で書店で文庫本を大量買いしてきたりして、寝る間も惜しんで勉強と読書に明け暮れているわけです。その傍ら中学時代に親から「意味もわからないのによく聞くねぇ」と言われた英米のロックを「LP」や「カセットテープ」(若い人、知ってますかー😁)でガンガン聴いているわけです。英単語を覚えているとは言っても、中学時代と同様、意味なんて判ってないのに😁。
 すると、高1で英語が真ん中あたり、高2で比較的上位、高3で上位グループにぐぐ‐んと成績が上がるんですね。追い込めば追い込むほど、自分の成績が上がるのが面白くて仕方なかったんですね。これが、後々の悲劇に繋がるなんて思ってませんでしたけど。

大学は目標通り「遊んだ」

 そんだけ勉強したので、無事、マトモな学部に入学確定。そんな時に、中学時代に晒し者にしてくれた教師と街中で出会い「先生、すんません。俺、大学決まりましたわ◯◯大学の◯◯学部」。悪い意味で目立っていたんでしょうね、その教師の目が飛び出しそうになったのは今でも痛快な記憶です。
 そして、大学では遊びましたね。というか、バイトして親から車借りて、あちこち友達と遊びに行って。と高校生がやるような「ちょいワル」な感じの遊び。可愛いものです😁。

就職して

 さて、こんな感じで何となく就職活動をして、上手いこと比較的大きなIT会社に滑り込みました。周りはバリバリ理系もいたのですが、当時は結構、文系も平気でSE採用していたのです。ただ、それでも「コンピュータ経験=ファミコン」と言うのは希少だったはずです😁。
 そして、半年の研修を終えて現場に配属されると、周りは天才集団。なんの間違いかは知りません。配属初日、先輩から「うっちーだっけ。英語は?」「出来ません( ー`дー´)キリッ」「じゃ、出来るようになれ」「へっ?」「これ読め」と分厚い英文マニュアルを渡されて、これと格闘が始まり。これが普通だと思ったら、同期から入る情報で、こんな「仕打ち」を受けているのは私だけ。大抵、みんな日本語マニュアルで調べながらプログラミングしているのに、私だけ英文マニュアルをひたすら読み込むばかり…。そして先輩に「なんで、私だけ?」と聴いたら「ここの仕事は日本語に訳されたマニュアルなんて使えないの。翻訳前の技術を使ってんだから」と言われて、なっとくしたような、なっとくできないような…そんな日々でした。
 が、ここで追い込み癖が顔を出してきます。先輩には1ヶ月、他の人達からは2ヶ月ぐらいならOKと言われたマニュアル読破を1ヶ月でクリア。この時、覚えた言語は、その会社でも使える人は希少だったので、それなりに評価を受ける程度にはなりました。

転職をして

 ただ、当時は「メインフレーム」と呼ばれる大型汎用機と言う古代のコンピュータを使っていたのですが、徐々にオープン化としてUNIXやWINDOWSが出て来て、仕事も汎用機の仕事の傍ら、Winのプログラムも書くと言う脳みそが割れそうな状態。そして、徐々に仕事の質、そして会社の体制などに疑問を持って、30を期に退職。約1年、ブランクを置いて別会社(日本のソフトハウス)へ転職。ただ、ここがブラック過ぎたので、直ぐにアメリカの資本が入ったジョイント・ベンチャーへと転職をしました。
 まだベンチャーと言う状態だったので、比較的「追い込み癖」を出す必要は無いかと思ったのですが、結果、ここでも競合他社との比較をお客さんにヒアリングしてみたりしながら、自分なりの「ウチの優位性」を纏めてみたり、本来はアメリカに駐在している日本人を経由しなければならないのですが、話がややこしくなるので、そんなものすっ飛ばして開発チームやサポートチームに直談判しながら、製品の特徴を掴み、運良く知り合ったコンサルタントから、製品の良さ、お客さんでの理想的な使われ方を教わって、これをまた資料化するなど、寝ずに飲んで、寝ずに仕事をして追い込みまくっていました。
 幸い、この追い込みの中で外国人とのコミュニケーションや日本語化の障壁なども知ることができたとも言えますね。

転職を重ねて、日本の会社へ

 その後、その会社が実質的にクラッシュしたりして、何度か転職する中で、更にダイレクトに本社や開発チームとのコネクションの張り方を学習したりしながら、追い込んで追い込んで、コンサルタント!的な感じで成果が出せるようになってきました。結果として「うち、◯◯社さんじゃなくて、うっちーさんから買ったんだからね」と言われるような状況にもなったのは佳き思い出です。
 ただ、最後、うつを発症する時まで、常に追い込んで追い込んで仕事をしていましたから、勤続疲労は溜まっていたんでしょうね。おまけに日本の会社では、それまでやっていたような「ややこしい奴をすっ飛ばす」なんてプレーはご法度。「稟議は?」「◯◯部のハンコは?」「◯◯さんには話してある?」。正直、知らない人の名前までガンガン出てくるし、片方では仕事を進めるためにフルアクセル、もう一方で「ご法度」を破らないためにフルブレーキ。完全にブレーキパッドが焼き切れたのが2023/6/10のメンクリ初診日だった訳です。

それでも最後が日本の会社で良かったのかも

 若い頃の転職では「チャレンジ」が最大目標だったので、給与やポジションを上げることには、あまり…正直、全く執着がなくて、転職エージェントからも呆れられるほどでした😁。
 ただ、アメリカの会社と日本の会社の違い。を充分に理解できたのは、最後が日本の会社だったからかも知れません。上っ面で「ベンダーと代理店」と言う付き合いの場合、どうしても相手も格好を付けるのでしょうか?「アメリカ風が基本」みたいな話をしますが、内実はドロドロの人間模様が渦巻いている事は察せられました。それを実体験できたのは、良かったですし、落ちこぼれが落ちこぼれとしてサラリーマン生活を終えられたのも良かったと思います。
 そして、今は、ボランティア活動をしながら、その会社…叶願で精神疾患の人を雇用できるくらいに、そして、精神疾患の方の作品を取り扱えるようにと努力しています。私自身がうつですから、うつの人の辛さは判るので。
 そして、今日もボランティア活動をボケーっとやりつつ、こんなblogを書いていると言う訳です😁。

 今日も最後までお読み頂きありがとうございます。
 徐々にblogのアクセスも増えてきて、励みになっています。今後ともよろしくお願い致します。

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