土地の気について
なんとなくですが、場所によって「良い感じで歩ける」ところと「なんか重い感じがする」ところがありませんか?私にはあるんですが…っていう事で、ちょっと書いてみます。

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「気」の良い場所はある
良く書いている世田谷山観音寺のご住職から聴いた話です。世田谷山観音寺は、ご住職のお祖父様が戦後になって開山された新しいお寺です。そのお寺を建てる際、世田谷区を歩き回ってお寺にふさわしい場所を探したそうです。そして、現在の場所(世田谷区下馬)に土地を決めて建立されたと。
その開山された僧正様、気を勉強されていて「お寺にふさわしい場所」も「土地の気」を重要視されていたとの事でした。
これ、何となく判るんです。私は「気」なんて勉強した事はないんで、あくまでも「なんとなく」ですが。
気の良いところを歩くと
世田谷は「谷」の字が付いているので判るかと思いますが、起伏が激しい土地です。少し歩くとアップダウンで結構疲れたりします。特に多摩川沿いなんて「段地」と言われるように、激坂があったりします。高級住宅地で有名な成城も台地状になっていて、成城界隈は平たいのですが、その周辺は激坂が待っていたりして、ロードバイクでも四苦八苦して成城駅にたどり着くなんてことがあります(今は無理ーーー)。
そんな世田谷でも某所。ここもアップダウンが激しいのですが、いつも思うのは「疲れねぇな」と言うことです。当然、うつを発症してからなのですが、疲労感を感じないんですね。それを考えると「きっとここの気は良いんだろうな」と言うことです。
先程書いた観音寺さんの周りも坂道が多いのですが、やはり同じ様に疲れないんですよね。これが近くの三軒茶屋に近づくと疲れが溜まったりしてきます(😁)。別に三軒茶屋が気が悪いとは思わないのですが、普通の場所で普通に疲れるって事なのでしょうね。
気の悪いところを歩くと
逆に新宿区の某所を歩くと、めちゃめちゃ疲れます。夜の歌舞伎町なら客引きを避けるのに疲れそうですが、残念ながら歌舞伎町でもネオン街でもありません😁。昼間でも夜でも、疲れちゃうんです。これ健常な頃から今でも変わりません。そして、とある人に聞くと「あ、あそこらへんは悪い気が溜まるのよ」と言われてしまいました。
プラシーボの様に予め聞いていれば、その影響が考えられますが、そんな事、全く知らずに歩いていたので「そういう事もあるのね」と言う風に思い、そこから「土地に気って有るんだねぇ」と思うようになった訳です。
「気」って何よ
気については勉強していないので、あくまで自説になりますが、例えば土地の歴史や龍脈・レイラインと言われるような「パワー」が関係しているのかも知れません。土地の歴史なんていうと朧になりますが、例えば刑場後などが「悪い気」に当てはまると思います。
その逆で、土地を開発していると「縄文遺跡が」とか「埴輪が」などと言うニュースが出たりしますよね。こういうところって、案外、時代を越えて「街」として使われていたり、周辺に神社があったりします。北海道だと、アイヌの遺跡の下から縄文遺跡が見つかることもありますしね。
これって何を意味しているかと言えば一つは「利便性」ですよね。水(川や池)が近くにあったり、道を切り開くのが楽で他の「街」と繋がる交通の要衝になっていたりしてきた歴史があると思います。
一方で、水場からは少し距離があったり、逆に水に近すぎて流されそうな場所に古い神社があったりとかと言うのもあります。これ、合理的に考えると「謎」だったりします。当然、古代の地形と現代の地形の違いがありますから「昔は目の前に池がありました」なんていう場所もあったりしますが、街になっているすぐ近くに古墳があって古墳としらない人が「丸山」だとか「大塚」だとか「しゃもじ山」なんて名付けて、その近くに街が広がっていたりもしますよね。
これは、やっぱり人が住むには良い「気」があるんじゃないかと思うわけです。その「気」に誘われる形で人が集まり、街が形成されていったんじゃないかな?なんてですね。
「気」ってインスピレーションだったりするかも
土地に限らず初対面の人に「気」を感じる事もありませんか?私は、これ苦手で初対面の印象が良い人ほど後で痛い目にあったりしました(健常だった頃)。逆に「初対面の印象で決める」って言う人もいますよね。これって一種のインスピレーションだと思うのです。別にスピリチュアル能力の有無ではなく、何かが閃くんじゃないかと。
私の場合、ある時期から、一歩足を踏み入れると「ここ嫌」と思うくらいの場所が出来たりします。ただ、不思議な事に、その土地の中にキチンとした神社があると、そこだけは異空間の様になっていて気持ちよくなっていたりします。
が、神社やお寺があっても「重たいなぁ」と思うと、境内が汚れていたり、参拝者…と言うか、来た人の多くが近所で買ってきたファストフードを食べていたりして、とても聖域として大切にしている雰囲気がなかったりします。山梨県のとある神社でも、昔は「凄く良い感じ!😀」と思っていたのが、数年前には「なんか変わった?」と思ったら、手水舎で水をグビグビ飲んでいる人がいたり、お土産屋で買ってきたお菓子を食べていたりして「あーーーー、これか」と思うところもあります。インスピレーションで感じた「佳き」と「悪しき」が、うっちー視線では証明された感じがするんですよね。
「パワースポット」でも
パワースポットとして有名なところでも、同じようなことがあったりします。あまりに有名になったパワースポットでは何のインスピレーションも感じなかったり、寧ろ「お、重い」と思ったりすることがあります。きっとパワースポットとして畏敬の念もなく、ただただ「お願い」だけを投げ込んで帰る人が多かったんでしょうね。そうなると幾ら「気」が強い場所でも疲弊しちゃうような感じがします。
自分のパワースポットを探してみよう
私のやっている神社仏閣紹介サイト「八百万の神々」で多くの神社仏閣を掲載しています。が、そんな神社仏閣の中で有名なところでは「小野照崎神社」が「出世の神社」や「願掛け神社」で有名です。その端緒は「男はつらいよ」の寅さん、渥美清さんが役に恵まれていなかった頃、ここに参拝して「タバコを止めるから」と願掛けをしたら、直ぐに男はつらいよの出演依頼が来たと逸話かと思います。この事から、ここにお参りする人は後を絶ちません。
でも、秘められた「出世の神社(お寺)」もあったりします。秘められたというのは「ある俳優さんが」「あるスポーツ選手が」お参りを続けていたら、有名になったり強くなっていったりしているところです。全然有名じゃなかったり、凄く小さかったりするような神社仏閣だったりするんですが、その人にとっては大切な「気の良い場所」だったんじゃないでしょうか。
私にも私のパワースポットが幾つかあります。健常だった頃には疲れ果てていながら、仕事を続けなければならない時に、そこにお参りすると力づけられるような気がしました。そして今は、気が沈んだり、どうにも迷いが抜けない時にお参りをすると、勇気が出てきたり、気持ちが整理できたり、あるいは佳きインスピレーションが湧いてきたりします。
それが万人に当てはまるとは思わないのですが、多分、誰にでも「ホッと出来る場所」「気持ちが落ち着く場所」がると思っています。それが、その人にとってのパワースポットであり「気の良い場所」になっているじゃないかと思います。
別に遠くの有名な神社仏閣にお参りしなくても案外、近くにあったりすると思うので、散歩のついでやお出かけのついでに神社仏閣に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
「おい、それは『ついで参り』で禁忌やろ」と言われるかも知れませんが、私は何かの用事を「ついで」として「ここにお参りするついでにデパートに寄って帰ります」とか宣言してお参りをしています。「気は持ちよう」ってやつです😁。
今日も最後までお読み頂きありがとうございます。「うつは気の病」なんて言われますが、そんな事とは関係なく(気の病で、こんなに悩むかよとか思いつつ)良い気を感じにお出かけするのは良いことだと思います。そして、そんな場所に出会うと「明日のお参りが楽しみだ」とワクワクする思いが出てきたりします。是非、試してみてください😁。

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