精神障害への偏見?感じてます

名刺交換と共にやること

 うつになり、とある会社のボランティアができるまで回復してます。その会社からは「ボランティアスタッフ」という変わった肩書の名刺を貰っていて、一応、社会人としての体をしている訳ですが、それでも無給で手伝っているのがやっとやっとの状態です(笑)。
 と、当然、名刺を貰った人の多くが「ボランティア!?」と言う反応をしてくれるので「私、うつなんです。なのでフルタイムで働き切る事もできないので、ボランティアとしてリハビリしてます」とお答えする事になります。中には「ギョギョっ!」と言う顔をされる人もいますし「ふーーん」と聞き流す人もいます。
 ま、この差自体は、偏見だとは思いません。正直「ギョギョっ」としてくれる人の方が、状態だとかを説明しやすくて楽なんですけどね。特に大阪梅田の精神科のクリニックで放火殺人事件があった時には、結構な人が、この反応だったんです。が「あー、私、多分、萎縮して動けなくなるから被害者になってしまって…危害はないです」と説明したりして話しやすくなったりします。
 今はかなり改善していますが、金属音が響いたり、レストランなんかで突如、馬鹿笑いが起こったりするだけで、こちらが「ギョギョっ!」として動悸が起きたり、頭の中で「ワーッ」となったりしていたので、ガソリンにボカンと火がついたら当然、パニックだったでしょうね。

それでも偏見は感じるんですねぇ

 時々「あの人、自分で『うつだうつだって言うけど、全然、そんな事無いじゃんね』とか『薬飲んでれば大丈夫なんでしょ』とか『うつとか言っても出歩いてるじゃん』」とかって声は聞きます。うつの患者って鬱々とした表情で生きていなきゃいけないんですかね?うーん、障害者手帳の申請でも障害年金でも審査項目には無かったように思うんですけど…(笑)。
 薬を飲んでいるから大丈夫。確かに定時で飲む薬、状態に依って飲む薬をキチンと服薬していれば、かなり良い感じで生活できているように見えるでしょう。でもね、薬が切れた時に酷い脱力感に襲われる事もありますし、薬を飲んでいても上がってこない事もあります。そもそも、薬はサプリじゃないですからねぇ。その薬が必要な時点で病気なんですよね。それと「大丈夫」なレベルが健常だった時と、今とでは違うんですよね。健常な時に「できて当たり前」だったことが今でも「できたら上等」だったりします。ついつい忘れ物・落とし物をすることは多いのです。その度に、奥さんが対策を考えてくれるから助かっていますが、これが健常な状態で起きていたらかなり「おマヌケ」です。
 実際、薬を飲んでいても身体がふらつく事があります。そうすると何が起こるか?私の場合、職務質問というのを受けました。いわゆる身体検査をされ、所持品も全部見られ「ご協力ありがとうございました!」で終わりです。いやぁ、焦りました。初体験でしたし、自覚もないのに「薬物所持が多いので」とか言われちゃったら…、あたしゃメディシンは飲んでますが、ドラッグは飲んでませんし。で、少々長くなりますが、この職質をしてきた警察官さんに暫くして交番に赴いて話をしました。その時に「うつなので薬の影響があるんです。それに突然、話しかけられたら挙動不審に見えることもあると思います」と言ったら、その警察官さんが言ったのが「うちの母親もうつですが、薬を飲んでれば大丈夫だと」と答えたんですねぇ…。お母さん頑張ってますね。お子さんに厳しい状態を見せまいと頑張ってますね。と感じた次第です。
 そして、とあるファミレスで食事をしていた時、隣の席で損保の営業とクライアント企業の担当者が会話していて「うつなんかねぇ、外出とかバンバンできちゃうでしょ」と。アレデスかね?うつになるような職場環境にしていて、従業員がうつになったら引きこもりになって、病状が悪化するほうが良いんですかね?それ、ブラック企業そのものでしょ。とか思ったりしました。

別にうつだからって

 別にうつだからって「うつ風味」な生活をする必要は無いと思います。それこそ「詐病」ですよね。一見、元気そうに見えるくらいになっているようになるまで、どれだけ頑張ったか解らないんでしょうね。
 そして、元気そうに見えたって、それは薬の助けがあったり、周囲のサポートや多少の無理があったりするんです。だから、堂々と胸を張って「私、うつなんです」と言える今の自分が好きです(笑)。最初は、その言葉を言うのが怖くて仕方なかったのですが、ある馴染みの神社で「あら、あんたちょっと元気ないね」と言われ、事情を説明したら「なら、堂々と言いなさいな。もっと悪い病気かと思ったけど、神様が『ちょっと休め』って思ってくれたんだよ」と言われたんですね。その言葉は、とても助けになりました。
 だから、うつだからと言って憂鬱に囚われる必要も無いし、笑っても良いのです。だって、それが出来なかった時間を過ごしましたよね。私なんて表情筋が劣化するくらいだったんだから(笑)。

偏見なんて放っておこう

 今では、偏見に出会っても「ほっとこ」で済ませるようにしています。ボランティアでお付き合い先になるような所でも、やっぱり「ちょっとアレだと思ってるな?」と言う対応をされることがあります。それなら、それで良い。やることをやってくれれば文句は無いし、やってくれなければお付き合いの価値なしと判断すれば良いだけだから。と(ボランティアでも、それくらいの決定権はあったりする)。
 それは精神障害だけではなく、様々な偏見というやつには共通して応用できる対応方法かもしれないなぁ。と思っています。
 そして、そういう事を理解してくれた上でお付き合いできるところは大切にすれば良いのでは?と思います。幸い、殆どの場合、お気遣い含めて対応してもらえるので嬉しいんですよね。

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