うつ病と私

うつ病になって暫く、無欲・無気力・絶え間ない倦怠感、そして急激に変わった五感。これらの症状に苦しみました。これを過ぎて回復期に入ると、復職を悩む時期に入ります。ただ、これを別の側面で自分を観察してみると、案外、うつ病が色々な機会をくれたんじゃないかと思い始めました。

うつ病がチャンス?

うつ病がチャンスなんて言うと、脳のバグがよっぽど酷くなったように聞こえるかもしれませんね。でも、そうでは無いようです。笑い。

まず「残り少ないサラリーマン人生を、こんなワクワクしない仕事で終わりにして良いんだろうか?」と思っていた時期に発症しました。この一種、絶望感がうつ病のトリガーだったのかもしれません。しかし、この絶望感が、回復期に入って復職を焦りながらカウンセラーや医師からストップを掛けられた時に解放されたのです。これから先、どんなに苦労しても自分で切り開くんだと覚悟が決まったところです。会社や会社の制度に縛られ、収入の限界を理解していた状態から、その呪縛がなくなりました。当然、それは最低限の収入を失う事を意味しています。が、この頃には既に無給休暇に入っていましたから、その最低限の収入と言えるのは団体保険の保険金だけと言う状況でしたから、階段を落ちるとしても、最上段から落ちるのとは違い、最下段から降りると言う方が正しかったのかも知れません。今から思えば…、ですが。

良い方向で変わったな!と思うこと。その1

自覚して良い方向で変わったなと思うひとつは、認知行動療法との出会いもあって、様々な事をポジティブに、感謝で受け入れる事ができるようになった事です。

これは他界した母と話した事ですが、街を歩く変な人を見かけた時に俺は感謝してるのよと。

というのも、そういった人たち、例えば大声で歌いながら歩く人を見たら「奇妙な」と思って見ていました。この奇妙。分解すれば、「奇」は奇跡の「奇」の字、「妙」は不思議なほど優れていると言う意味です。とても良い言葉なんですね。それ以来、自宅からコワーキングスペースに向かう途中で時々出会う「奇妙な人」に感謝するようになりました。笑い。

これは一例だし、極端なのかもしれませんが、電話の終わりには「ありがとうございます」になりましたし、これは昔からですが、コンビニでもお世話様ですは必ず言っています。

また、妻が当たり前にやっていると思っていたことにも感謝ができるようになりました。こんな障害者に様々な世話をするだけでも大変なんですから、当然ですね。

こういった形で感謝していると、大抵は、きちんと「ありがとう!」って言われますよね。これ、凄いコミュニケーションだと思うんです。

これだけでも良い方向に変わったと思っています。

良い方向で変わったと思うこと。その2

起業の決断ができました。復職しても先が無い。そして転職も非常に不利な条件です。これなら一念発起!で、起業しようと考えたのです。起業する事のハードルは低いのですが、様々な手続きが辛い。特に携帯電話のハードルは高かったですね。

そして、意外とも思えたのが銀行です。法人口座は出来れば地元の信金が良いな!と思っていたのですが、業務の実施状況の視察などが条件に入っているのです。が、こちらはコワーキングスペース。部外者の立ち入りは原則禁止。その上、ECサイトを始めたので、年がら年中、Macを睨んでいる訳でもありません。こんな審査…変じゃない?と思っていたら、ネットバンクが使えそうだと。それで、口座開設。これは案外、楽でしたね。

まだまだ軌道に乗ったとは言えませんが、自分の夢・やりたいことで未来を自分の手で掴み取るという希望が持てたことは大きかったと思います。生殺与奪の権を自分に取り戻した!ということです。笑

良い方向で変わったと思うこと。その3

その3は、「褒める」と「寄り添う」の意味が理解できたようになってきたことです。私はバブル直前にSEとして大きな会社に入りました。その職場は言ってみれば徒弟制。見て覚えろ!プログラムを作って覚えろ!と何度も言われ、出来ても褒められる事はありません。今ならパワハラですよね。それが先輩・上司だけなら兎も角、夜中に担当顧客の客先で作業をしているとお客様から「あれ?うっちーさんしかいないのかよ。お前の会社、暇なの?あのさ、頼みがあるんだけど、このプログラム、朝までに直しといてくれる?」なんて…そんな「無料サービス」も受けなければなりませんでした。笑。

寝る時間はありません。それが当たり前に染み付いていましたし、転職をし、21世紀になっても、大抵のアイティー会社は、こんな感じだったんじゃないかと思うのです。

私がパワハラを受けて、労基局に言ったのが2007年頃だったと思いますが、当時、まだ「パワハラ」と言う言葉は定まっておらず、不当解雇など労基法に基づいた対応しかしてもらえません。今なら民事でも戦えるとは思いますが、当時は、そんなことも出来なかったのです。

転職をして、高い評価を頂いても、嬉しいと思ったことはありませんでした。海外の連中から褒められても「お世辞だろ」で終わっていました。感情が動くことが無かったのです。

が、今は違います。医師や妻などから褒められると嬉しいのです。ねぎらいの言葉に感謝が言えるのです。

以前と違って、人の言葉、特に温かい言葉に「寄り添われている」と思えるようになったのです。

だから逆に今のビジネスでプロフェッショナルだなと思う人達と会うと自然と「凄い」「感動する」と健常だった頃には気恥ずかしくなって言えなかった単語が心の底から湧き上がってくるようになりました。

良い方向で変わったと思うこと。その4

四番目は「頑張らなくなった」ということです。怠けてると揚げ足取りをする人には言われるワードですが、でも頑張らないのです。それでも申告時期や日々の経営など、頑張らなければならない局面は多々あります。でも、そうでもなければ、できるだけ頑張らない。その代わりに「楽しむ」ようにしています。例えば、このコンテンツも楽しんで作っていますし、コンテンツづくりの為の細かい学習も楽しんでいます。今後、何を発信していくかも楽しみです。

また会社も今、企画しているプランが2つあって、それが、どう展開していけるのか。不安はありますが、それよりも楽しみにしている方が大きいのです。頑張る。美しく聞こえるでしょう。でも私には本当に命と精神を削った時間だったのです。それは、もう繰り返しません。健常の頃と同じような事をやっていても、あの頃は「頑張って」、今は「楽しんで」やるようにしています。楽しんでやっていれば、没頭もできるし、ストレスの要素になる心配事からも解放されますしね。笑い。

ある意味で、うつ病と言う病によって、私の人間性が取り戻せたのかも知れません。そして、50歳を過ぎての発症は寛解しにくいと、ある人から言われたのを機に、うつ病を「悪友」と位置づけて、一生、一緒にいてやれと思っています。そのためにも、うつ病が暴れない方法を日々、勉強しています。

共存できるだけ共存してやる!

うつ病、精神疾患、障害。ネガティブなワードなのかもしれません。そして人や時期によっては、こんな事が嘘や美化と言われるかもしれません。ただ、私は、うつ病、そして私をうつ病に追い込んだ人たちを見返すためにも、人間うっちーとして、やれるだけやって行きたいと思っています。

うっちーは、こんな事もやっています。

ご相談ありましたら、どうぞ(ココナラですから、お互いの電話番号やメールアドレスは開示されません)

メールなら↓

心が弱って言葉に詰まる方に文字で対応します 言葉にしづらい方、うつ病の立場で様々な心の悩みを伺います!

電話なら(2つあります)

うつ病の人が出来るだけ丁寧にお話を伺います 精神疾患を理解されない!悩んでいる方に寄り添います!

小さな愚痴から大きな愚痴までお聞きします 思い切って声にしてみる事で、スッとすることもありますよ!

お気軽にご利用ください!

手作り品・工芸品の越境ECサイト 叶願(かなってる)

工房・作り手を募集しています。そしてスポンサー様も!

下のフォームでお願いします!

叶願(かなっている)英語版

    Follow me!

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    うつの日常

    次の記事

    呪縛を無くす