自死。に対する宗教的・文化的な考え方
キリスト教で自死、自殺が強く教義に反することは知られていますが、他の宗教や日本の文化で考えるとどうなのでしょうか?
浅学ながら、考えてみます。
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仏教での自死
実は、いきなり一番、難しい自殺の解釈について難しい宗教を取り上げてしまいました。
その一つの理由は、お釈迦様が「人は皆平等である」と解かれていて、ここに行きているものだけではなく、死者も含まれているという考え方があるのです。
カースト制度が今よりも、更に厳しかったであろうインドで、この言葉は非常に深くそして批判を受けるであろう言葉だったと思います。が、それを言った釈尊、お釈迦様の言葉が、今、一人歩きをして「仏教は自殺に寛大である」と言う認識も広がっています。
ただ、その認識、実は、多くはご遺族に向けられたところだと認識しています。キリスト教やイスラム教のように自殺者が煉獄の中で苦しんでいるのでは無いかと考えられるご遺族に対する慰めの言葉として、独り歩きしている考え方が非常に強い慰めになっているという事です。
逆に、こんな逸話もあるので紹介しておきます。
インダス川で自殺をしようとしていた女性の前にお釈迦様が現れて、お話をしたという内容です。
あるところに、毎日毎日重荷を引いて、
山坂を越えなければならない牛がいた。
あまりの辛さにその牛は、
「この車さえなければ、重荷を持つこともないだろう
何とかこの車を壊してしまいたいものだ」
と常々思っていた。
ある日、意を決した牛は、下り坂のときに
岩の角へ車をゴツンとあてて、壊してしまった。それからというもの、20日間ほどは、
車がないから重荷もつけられず、牛部屋につながれた牛は、
「こんな気楽なことになるとは、これはうまいことをした」
と喜んでいた。ところがそこの主人は、
そうそう遊ばせてもおれないので、やがて新しい車を作ってきた。
それも、こんな乱暴な牛では、普通の車ではまた壊されると思って、
荷台も車も何もかも鋼鉄製だった。荷物を積む前から、以前の車に荷物を積んだよりもはるかに重い。
そこに重荷を積んで歩くのだから、到底堪えられるものではない。
歩くのも遅くなって、ムチで叩かると、体中から血が流れ出す。
牛は、「ああ愚かなことをした、こんなことなら
やっぱりもとの車のほうがましだった。
ああバカだった、バカだった……」
と深く後悔したのだ。今、そなたの身の上もちょうどこの牛と同じである。
恋人に捨てられ、親に責められて、
いっそ死んでしまったら、それは車を壊したようなものだ。
未来はそれよりももっと恐ろしい火の車があるから、
そのとき後悔しても、もう二度と人間に戻ることはできないのだ。
よくよく思案するがよい」それを聞いた女は驚いて、これまでの心得違いを反省して、
「自殺は地獄行き?仏教は自殺防止の教え」仏教ウェブ講座
仏教を聞くようになり、幸せになったと説かれています。
後述する他の宗教とは違い、自殺することの是非、地獄行きなどと言うことは一言も触れていません。寧ろ生きることの苦労すらお話されています。それでも生きることに価値があると説かれていることが重要だと考えます。
ただし、仏教徒の中には仏教が禁止する「殺生」を自らに行うので、端的に罪を犯していると言う解釈も存在しています。
キリスト教
キリスト教では、現代でこそ「禁止」と言う概念的な部分が残っている形ですが、過去には更に過酷な実態がありました。
キリスト教では,「死」を罪の対価として捉えており,神を信じない罪の内在により,人は「死」を与えられたと考える。そして,この「罪」を償うために人は「生きる」のであると解されている。この意味で,「生」は一つの信仰であり,自らが命を絶つ「自殺」は,この信仰に反する行為として違法視されるに至ったのである。キリスト教的理念が強い西洋においては,自殺者の葬儀・埋葬を禁止するなどの宗教的刑罰とともに,財産の没収などの物質的刑罰を科していた。また,地方や慣習によっては,これに加えて様々な形態の刑罰が科されており,特にフランスでは,自殺者に対する処罰について,地方ごとに特に規定が置かれていた。フランス南西部に位置する町ボルドーでは,自殺者の死体は,共同墓地へ入れる前に,絞首台に足から吊り下げなければならなかったし,北部の町アブヴィルにおいては,自殺者の死体は死刑囚護送車に乗せて町中を引き回していたといわれている1)。また,ルイ14世の王政においては,ブルジョワ若しくは下民層が自殺した場合には正式に有罪判決が下され,その財産は王が相続すること,自殺者が貴族の場合は,貴族権を剥奪され,平民になることを定めていた。
「自殺の法的評価と権利性」桃山学院大学 岡山七星
と遺族も苛烈な現実に晒される時代が有ったことは確かですし、こういった形が名残となって今もキリスト教徒の多くは自殺を毛嫌いしている部分が残っていると考えています。
イスラム教
時に「ジハード」「自爆テロ」などのように私のようにムスリム、イスラム教からは離れて生活している人間には、世界的宗教の中で、最も死が身近にあるとみえるイスラム教ですが、
「汝、殺すなかれ」という掟からは、他人を殺害してはならない、という規定を容易に汲み取ることができる。が、実はこの掟には、「自分を殺してはならない」という意味もある。つまり自殺は罪なのだ。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、それぞれ独立した宗教になっているが、同じ神を信じており、共有する信条があるので、アブラハムの宗教とくくられる。アブラハムの宗教では、他殺と自殺は罪。だから、自殺者の比率は低い。
『ニース「自爆テロ」を”正当化”する側の論理』 東洋経済 内田通夫
と言うように、原則として自殺も他殺と同様ん認めていません。では「自爆テロは?」となりますが、これは「殉教」と言う扱いとして自殺では無いとしているのがテロ組織の言い分になっていたりします。ただ、これまで書いてきた宗教の中で「自殺」を最も厳しく律している宗教であるのは間違いないでしょう。
神道では?
神道と言えば、私達日本人固有の宗教です。様々な論文も出ていますが、一番端的に説明されているのが以下の引用内容だと思います。
神道では”命”のはたらきやそのエネルギーに神性を見出し神様と崇めお祈りしています。人間も神様から命をいただく神の子です。
この世は、魂の修行の場です。どんなに辛く悩み苦しみがあったとしても、その環境から逃げる手段として自殺して”命”を絶つという行為は絶対してはいけないのです。
「神主さんが語る自殺の是非」命を見つめ続けて
救命士もやっていらっしゃる神主さんなので、至極真っ当な考え方に見えます。また約2,000年の間、仏教と混交しながら進化してきた神道の考え方なので仏教的な考え方、殺生の禁止にも似ていると思えます。ただ神道には経典も戒律もありません。それが神道ですから。
だったら、切腹は?特攻は?
至極真っ当と書いていますが、恐らくサヨク的な方々には「切腹・特攻と相容れない」とお考えでしょうね。ですが、これは全く違います。
切腹
三島由紀夫を含め、現代においても「切腹」「割腹」を自殺方法としている人がいますが、本来の切腹は、
日本の封建時代における道徳観念のもとでは、不始末が生じた場合にその責任をみずから判断し、自分自身で処置する覚悟を示すことで、自身のみならず一族の名誉を保つという社会的意味があり、「自決」また「自裁」とも称された。近世以降は処刑方法としても採用され、江戸時代には武士に科せられた刑罰としては最も重いものであったが、切腹させることは「切腹を許す」と表現され、場所には新しい畳を重ねて敷き、幔幕をめぐらすなど念入りに整えられ、名誉を保証する処置がとられた。
「切腹」wikipedia
と書かれているように、初期には自身が判断して行う責任の取り方であり、江戸時代には名誉ある死罪として行われたものです。この流れから三島も名誉ある死、責任を取るという形で割腹自殺をしたと思います。なお、一般には割腹だけで死に至ることは非常に困難で、必ず介錯役がついて切腹した侍をできるだけ早期に死に至らしめるようになっていました。
一方で、浅田次郎作「壬生義士伝」では新選組の吉村貫一郎の苦しみながら命が消えていく様を描き、また明治天皇薨去と共に乃木希典が妻と共に介錯なしで割腹自殺(殉死)しています。この時には十字に腹を切る方法でしたので、相当な苦痛があったはずです。今でも、東京港区の乃木神社には旧宅が残され、殉死が行われた部屋もほぼ当時のまま残され、その際に使われた刀も宝物とされています。
これは私の解釈ですが、乃木は日露戦争で自らの跡取り2人を共に戦死させています。これには、旅順攻略などで多くの将兵が戦死していく中で自らの子が生き残ることを許さなかった激烈な悲しみがあったと思っています。そして、数々の批判を受けながらもかばい続けた明治天皇が亡くなった時に、既に後顧の憂いもなくなった状況…子孫なしの状況で、かつての武士と同じく裁量の責任の取り方として切腹を選んだのではないかと考えています。
特攻
保守として呼ぶ「大東亜戦争」、いわゆる太平洋戦争・第二次世界大戦で日本軍は特攻作戦を実施しています。これは知られている神風特別攻撃隊のような特攻機を使った航空戦の他、潜水艇(といよりも魚雷)や高速艇、潜水着をつけての人間機雷(伏龍)などがあり、多くの戦死者をだしています。また、この他にも万歳突撃や地雷を抱えて敵戦車の下に潜り込むなど、自らの死を書けた戦法も少なくありません。
これを模したとして、先に挙げた「自爆テロ」を「Kamikaze Terror」などと表現する海外メディアも少なく有りません。しかし、上記した戦法の全てが「テロ」では無いことに注意すべきです。つまりテロは一般市民。武装もなく、多くは日常生活を送っている中で突然の爆破などにより命を落とし、また身体に大きな障害を負うような非人道的攻撃を指します。が、日本軍の特攻作戦の相手は必ず敵軍です。一般市民が神風の相手になることはありません。この差は認識して頂きたいと思います。
そして、特攻が自殺に当たるか否か。国家神道の中で、どう扱われたか。を考えるのは、少々興味深い。そこで、少し一服してきます(笑)。
さて、一服が終わりましたので、書き続けます。まず、特攻は「名誉の戦死」であって自殺とは異なります。これは玉砕にも通じるのですが戦陣訓にある「行きて俘虜の辱めを受けず」とあるところから、兵士たるもの捕虜になるくらいなら戦死せよと言う格言が浸透していた訳です。当然、ここに様々な異論があることは承知しています。そして、特攻を格段に取り上げる理由、そして、特攻以外でも特に戦争末期になると様々な突撃が行われ行きて帰れない戦法が多々用いられます。これに反発したのが硫黄島の闘いで有名な栗林中将なのですが、少数派という状況で、多くの指揮官は死してでも相手を叩くことに集中していました。ですから、私は突撃で亡くなった兵士も特攻と同様だと考えています。そして、サヨクの方々は特攻を「犬死に」と称します。本当でしょうか?私は、間違った考え方だと思っています。
まず、今ならドローンが敵陣深くまで侵入して爆弾投下や自爆攻撃が行なえます。少し前ならミサイルが主流でした。それ以前は?砲撃ですね。航空戦力に対しては高射砲などを撃って撃墜を狙い、低空の敵には機関砲を放つ。対艦攻撃では艦砲射撃や魚雷、機雷がありました。が、大戦末期になると、これらでの防衛は無力化されています。それがB29の出現、そしてサイパンなどの占拠です。B29は高度1万メートルを飛ぶことが出来る巨大爆撃機です。これに対して高射砲は無力、迎撃できる戦闘機もほぼ無し。有名なゼロ戦も1万メートルには到達出来ません。更にサイパンの空港や空母からB29を護衛する戦闘機まである中で、格段に数が少ない迎撃能力では対応が出来ず、それに対して行われたのが、対艦攻撃としての特攻でした。鹿児島などから飛び立ってサイパンなどに向け遥かな長旅、片道燃料です。多くの航空兵が、この間に過集中でしょう、意識を失って敵発見前に墜落死したとも言われています。が、こうした中で少数化した特攻兵が敵艦に体当りすることで、少しでも本土への攻撃を和らげようとしたことには間違いはありません。
このことは検閲が厳しかった中でも、多くの兵士の遺言や最後の手紙が残されている靖国神社・遊就館で見ることができます。そして、立派な戦果もあげているのですから犬死ににはなっていませんし、こうした戦果によって講話が少しでも有利に運んだ事は自明と考えています。
では、大戦末期になって特攻が始まったのでしょうか?それは違います。例えば第一次上海事変の1932年には爆弾三勇士と言われた3人の兵隊が敵に対する突撃路を開くため、点火した破壊筒を持って敵陣に突入し爆破。そして3人も爆発に巻き込まれて戦死しています。そして、この作戦により敵の鉄条網を破壊し、進軍が可能になりました。また、飛行兵でも母艦が沈む、あるいは燃料が足りないとなると体当たり攻撃を敢行する事は少なからずあったようです。
こうした中で、一定の戦果が見込めるとして多くの反対がある中で特攻隊が組織されていくようになったわけですし、この人たちによって守られた命が少なからずあったことは忘れてはいけませんね。
さて、では、話を戻して「名誉の戦死」と「自殺」の違いを端的に述べます。名誉の戦死の場合、必ず「銃後」と言われる故郷の人々を守るために戦死すると言う意味が少なからず込められています。つまり他利の精神です。が、自殺の場合、多くの人が悲しみに暮れてしまうばかりで利がありません。これは大きな違いだと思います。時には「曰く付き物件」「特殊清掃」「賠償金」など遺族や関係者にも迷惑をかけてしまうこともあるでしょう。
国家神道と特攻・自殺の関係
国家神道と言っても、基本は今の神道と変わりません。というのは、神道には聖書もお経もコーランもないのです。多くの事柄は、記紀に書かれている故事などに基づき、また平安時代から江戸時代まで国学者が賢明に体系化した伊勢神道を基盤にしています。このため「神道では自殺は禁止されていない」などと言う人もいますが、既述の通り、神道としての考え方に自殺を推奨するような事も書かれていません。あるとしたら「誓ひ(うけい)」と言われるような神様に近いを立てて、物事を遂行すること。その一つに有名な「木花咲耶姫」が藁の産屋に籠もって火を放ちお産をするものがあります。もし焼け死ねば夫神である瓊瓊杵命ではない人の子を生む事になり、行きていれば瓊瓊杵命の子だというのですね。そして無事に行きて産屋から出てくるわけです。これも自殺行為ですが、木花咲耶姫は確信を持って夫の子を身ごもっていたので神の力を借りて生き残れると信じたわけです。ですから、神道と同様、国家神道と呼ばれた時代であっても自殺は決して推奨されていないのです。
生きたくても生きられない人もいる
さて、こう書いていくと私に希死念慮がないように思われるかもしれませんね。でも、しっかりあります。消えてしまいたい時、枕に顔を埋めて呼吸を止められたらと思う時、しょっちゅうあります。
そして、そんな中で時々思い出すのが義父の事です。享年71だったかな?比較的若くして亡くなりました。既に60代後半から身体の不調が始まり、そんな中で好きなクルマを買い、ナンバーを73にしていました。このナンバーは、自分の父親が亡くなった年齢で自分は、この歳以上に長生きしようと考えていたようです。しかし、敢え無くこの夢は潰えました。
また、以前書いた、私にとっての永遠の0のおばさんの旦那さん。平たく言えば、老父が現役の頃の社長。この方が亡くなったのが58歳。当時の私には「歳だなぁ」とか思ったものですが、今考えれば若死にですよね。
それを考えると、自分が生きていることには少しでも意味があるような気がしています。その意味が何かは判りません。ただ、その意味を探すことが自分の人生であり、他の人にも自分が何のために生きているのか、それを知ってから命を絶っても遅くはないんじゃないかと思うのです。
更に言えば「○○が死んだら、俺も死ぬ」なんて言う人もいますが、私達は私達自身の為に生きています。それなら、自分が自分の為に生きている意味をさがしませんか?
今日も長々とお付き合い頂き、ありがとうございます。長文・乱文失礼しました。そしてタバコ休憩も(笑)。
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