現世利益と生きる意味

「人生詰んだ」かな?と思った頃

 うつ状態…前兆症状の頃を今、思い返してみると「消えたい」「明日が来なきゃ良いのに」と思うことが良く有りました。ただ、記憶が飛んでたのか、何なのか、厚労省の相談窓口やクリニックの初診のときに「死にたいとは思いますか?」と聴かれると「いえ、それは無いです( ー`дー´)キリッ」と答えていました。その瞬間と言うか、そういう時期だったのでしょうね。逆に言えば、もう「詰んでるかも」と思っていて、ベッドに入ると思い切り息を止めてみたりもしたり(笑)なんかして、少しでも消える可能性があることは試していました。でもリスカもしていませんでしたし、枝ぶりの良い木を探すこともなかったので、きっと「自分で命を縮めることには当たらない」と思っていたのかも知れません。ただ「消えられたら良いのに」とは思っていました。
 人生が詰んでいる。ジリ貧の人生だと思って病んでしまえば、そうなってしまうもんなんでしょうね。

何で生きているのかな?

 そして、今になって考えれば「なんであの頃、生きていられたんだろう」と自分の事を振り返って見たりします。その理由を探すと。
 ・奥さんに迷惑ばかり掛けてきて、このまま消えるのは無責任だろ
 ・神様や仏様はいると思って、まだまだ行きたい、見たい神社仏閣はある
 ・自分で自分を消す勇気が無い
の3点が思い浮かびます。
 特に奥さんの事を考えると、今の状態も申し訳ないのですが、あの時に消える方が卑怯だったように思います。だから生き恥を晒すようなものですが、生きて行こうと思えたんじゃないかと思います。
 なぜ、生き恥と思ったか。今では理解できるようになりましたが、精神を病んでしまったら、その時点で先程書いたように「詰んだ」状態だと考えていたからです。復職したとしても、これは人事からも言われましたが「会社としては復職して頂きたいけれども、現場に偏見がないとは言えない」という世間一般の概念というもの(?)、そして自分もそれは、そういうものと理解していたからです。生きていても、何もできなくなるんじゃないか、その時の「生産性」というを考えれば自分が社会に貢献できる状態に戻る道…つまりIT屋をやっていて、活躍…というより仕事として成り立つ状態に戻れるとは思えませんでした。タダでさえ外資系中心に努めてきて純日本の会社の文化や仕事のあり方に疑問を持ち、馴染めずにいたのに、これが「復職して現場で仕事?厳しいわねぇ」と言うのが実感でした。そして、他の道を探すという概念すらなく、どうにも「お先真っ暗」という。
 そんな中で奥さんの存在が大きな支えになっていたんですね(ごめん、毎日、やらかしてばかりで)。

現世利益を考えてみた

 さて、少し話がそれるようですが、神社仏閣を巡るようになると「現世利益」というものを軽蔑するようなBlogや配信を目にするようになります。実際、仏教では宗派によって来世あるいは極楽浄土での修行に重きを置いているところがあります。神道、神社では当たり前のように現世利益ありきなのですが、例えば「伊勢神宮にお参りしたらお願い事はしちゃいけない」とか言う人も居ます。確かに伊勢神道と呼ばれるような、伊勢神宮・天照大御神を中心に考える中では、この考え方は主流なのかも知れません。また「靖国神社は戦死者の皆様に御礼を言うところ」という人もいます。これも一理あると思います。
 ただ、私が考える中では「街中の天祖神社や神明社でお願いはしないの?同じ天照大御神なのに?」と思いますし、靖国神社では七五三参りや社運隆盛を願うお神楽を舞っていただく事もできます。何れも現世利益を願っているわけですよね。
 仏教に戻れば、特に密教と呼ばれる天台宗や真言宗では、それぞれの仏様が神道の神様と同様、様々に得意な利益をお持ちです。だから、神社と同様にお守りを頂いて合格祈願や、恋愛成就、諸病平癒などをお願いするわけですね。現世利益を一切否定していないわけです。子宝や安産だって立派な現世利益です。こういった願いがあるのは、ある意味で社会的な意義にも繋がっていると思うのです。子宝・安産は少児化対策、恋愛成就だって同じところに通じる可能性がありますよね。合格祈願・学業成就なら、そこから先に何かの研究に繋がるかもしれませんし、社会人として飛び立つための準備ができるかも知れません。諸病平癒すれば、疫病に掛っても大過なく治癒できて仕事に復帰できるし、私のように精神の病に掛かっていても寛解や軽くなってくれば自立できると思っています。
 そう考えると私は現世利益もとても大事なんだと思えるんです。もちろん金運だって大切ですよ!(笑)

だから神社仏閣に拘っていたのかも

 先程書いた「まだまだ見たい神社仏閣がある」と言うのは、この現世利益に繋がっているんだと思います。「鰯の頭も信心から」とも言いますが、信心、信仰心がある中で、様々な神社仏閣にお参りすると確かに「パワースポット」と言われるだけの雰囲気が感じられたり、何かしらのインスピレーションが浮かんできたり、あるいは和尚さんや神主さんと会話をして様々な学びを与えて貰うことがあります。また、こちらのサイト(setagayajin)を何年か掛けて作っていた中で、神社仏閣の由緒や御祭神や御本尊を調べていくと更に不思議な事実…例えば、日露戦争で有名な東郷平八郎元帥が祀られている東郷神社が、東郷氏の祖である渋谷氏の屋敷跡にある金王八幡宮と同じ渋谷区にあったり、幕末の悲劇である安政の大獄で死罪となった吉田松陰を祀り、またお墓もある松陰神社と安政の大獄での弾圧を支持した井伊直弼の墓がある豪徳寺が同じ世田谷区で同じ世田谷線で行けるご近所にあったりと、奇妙な因縁を感じたりもします。それを知るために、様々調べたりするわけですが、そうした「調べる」中で、やはり自分が好きな神社仏閣、ホッとできたり、元気を頂けたり、自分を見つめる時間を作れたりするところが出てきます。
 それがあったので、うつ病になった後でも「あー、最近、気が重い」と思えば「あそこに行こう」とか、「少し瞑想したい」と思ったら「このお寺の本堂まで行こうか」となります。そうなると、実はそれだけでワクワクしてきたりするんですね。
 全く、話が逸れますが、皆さんがお寺や神社で長いこと手を合わせて時々うなづいていたりする人を見たことありますか?私はあります(笑)。自分ではやりませんが、そういう人たちは他からみれば自問自答、本人は神様や仏様からお言葉を頂いている状態になっています。お参りで逸る気持ちがあっても、少し暖かく見守ってあげましょ。そして、もし御本人が長い時間、手を合わせたいなと思ったら、少し脇に逸れて他の人が参拝しやすいようにしましょう(笑)。
 こういうように、私にとって神社仏閣は、自分が好きな場所ですし、参拝や調べるという行為で生きている実感を持てました。そして、きっと神様や仏様からお力を頂けていたと思うのです。だから厚労省のヒアリングやクリニックの初診で「死にたくない」と言えたんだんじゃないかな?と思います。

そしてつまりは

 話があっちこっちに飛んでいると思います。が、そしてつまりは…ですね。生きること、それも健常だった頃よりも良く生きたい。豊かになれると思っています。その事で迷惑を掛けてきた奥さんに少しでも罪滅ぼしと恩返しがしたいですし、自分がやりたい夢(うつになってできました!)を叶えていきたいと思っています。そりゃ、今だって「消えたいなぁ」「辛いなぁ」「不安だなぁ」と思うことは多々あります。それでも嫌な思い出が浮かび上がってくれば「Purge(消去)」と言って自分の頭から消し去りますし、辛い、消えたい現実に出逢えば、先延ばしや回避、頓服飲んで(無理のない範囲)で頑張ってみたりしています。不安だって、先々を考えれば、何だって不安だと思って、今生きている中で見つけられる喜び探す事に視線を移してみたりします。それで、何とかやり過ごす術が身についてきたように思います。
 そして、疲れたら瞑想。ガサついたり、揺らぐ気持ちを少しでも和らげ、心がリラックスできるようにと。身体が疲れたら、少しでも長く寝る、眠剤を飲んでも寝る(最近、眠剤無しでも眠れるようになりました!)。自分の心と身体を大切にして、そして自分の大切な人のためにも頑張れる状態(但し無理はしない-笑)にできるだけキープしていけるようにしたいし、最近は結構、できている気がします。
 皆さんも、もし悩みがあったり、疲れたりしたら(平日がオススメです)、少し広い神社やお寺に行って、もしあればベンチに座って良い気を味わってみてください。お勧めの神社はsetagayajinで案内してますし(笑)。

 

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