死と神道
ある方と希死念慮の会話をしたので「死」と非常に密接にした宗教について考えていました。
しかし仏教では死後の世界観が宗派に依ってかなり変わりますし、キリスト教だと煉獄の世界と天国、それにイスラム教は…正直解りません。なので、神道に特化した形で、書いてみたいと思います。
死は穢
基本、神道では死は穢として扱われます。神様は穢を嫌うので、少なくとも忌が明ける50日(仏教の49日に相当)の間は、神社の参拝は控えるものとされています。よく服喪期間、つまり喪が開けるまでの最長12〜13ヶ月は控えるべきとも言われますが、それは違うようですね。
神社、神道は穢の概念で出来ていると言っても言い過ぎでは無いくらいに密接に結びついています。お参りする前には手水舎で口と手を濯ぎますし、お手洗いの無い神社も少なくありません。こうして神域に穢が滞留しないようにされているのです。
そのため、人生の中で最大の穢とも言える「死」が穢とされるのもわかりますね。
江戸時代までの神道的な死後の世界
神道は仏教やキリスト教と異なり「教義」がありません。元々、自然崇拝や精霊崇拝などから始まった各地の信仰が徐々に集合していき、古事記として一旦、纏められたものが、仏教の伝来と共に神仏習合が始まり、例えば天照大神=大日如来、私が好きなお稲荷様(宇迦之御魂神)はダーキニー(荼枳尼天)が本地仏(神様が姿をなした仏様)とされました。そして、武家社会に入ると儒学も重要な要素となって神道の中に染み込んでいきます。
となると、古事記との矛盾点も出てきてしまいますよね。そこで登場するのが国学者の本居宣長です。彼は仏教や儒学の影響を受けた形から、元の古事記などの古文書に戻って体系化を試みます。
そんな中で、死後の世界を「黄泉(よもorよみ)の国」とします。ただ「黄泉」は漢語で古事記では黄泉の国にいる怪物を「与母都志許売」としているので、与母が良いのかも知れません。ただ、それよりも大事なのは、古事記や昔話で有名な亡くなったイザナミノミコトを追いかけたイザナギノミコトの逸話。追いかけていった先が黄泉の国。そこにいたイザナミノミコトは腐敗しウジがたかった変わり果てた姿だった訳です。これが、一般の人にも当てはまるように考えられ、死後の世界では、穢れた存在になってしまうと考えられたのかも知れません。
平田篤胤の登場
平田篤胤は、本居宣長と並んで「四大国士」と呼ばれる人です。今でも北口本宮冨士浅間神社にお祀りされている人物です。彼は元々、ロシアなどの動向を調べた下級武士だったのですが、奥さんが買ってきた本居宣長の著作を読んで国学に目覚めます。この人、とてもマニアックな人で、私の実家の近く、日野市・八王子市までやって来て「生まれ変わった少年」を調査したり、寅吉という少年が下町で呪術を操って話題になっているところで聞き取りをし、修行の後、幽冥界に言ったなどの資料を残している人です。
そして、このマニアックさが示すように本居宣長の著作に触れると、国学に没入して、更に体系化を進めようとします。この時点で既に本居は亡くなっており、自らを「(本居宣長の)死後の門弟」と呼んでいました。その過程で、奥さんが亡くなってしまう悲劇が訪れます。それが機になったのでしょうか。自分が尊敬して止まなかった本居宣長の説と対立するような「黄泉の国の否定」を行います。
他界を現世と切り離して考えたりはしなかった[14]。黄泉の国の存在は認めたが、人は死後、黄泉の国へいく霊と、神になる霊とに分かれ、よい志をもっていた人の霊は神となって、神々の国である幽冥界へ行くのだとしたのである[14]。篤胤は、現実の習俗などから類推して、死者の魂が異界へおもむくのは間違いないが、その異界は現世のあらゆる場所に遍在しているとし、神々が神社に鎮座しているように、死者の魂は墓上に留まるものだとした[14]。現世からはその幽界をみることはできないが、死者の魂はこの世から離れても、人々の身近なところにある幽界にいて、現世のことをみており、祭祀を通じて生者と交流し、永遠に近親者・縁者を見守って行くのだとした[14]。
wikipedia 平田篤胤より引用
この考え方と言うのは「死んだら、穢い世界に行くしか無い」と言う考えを真っ向否定しているわけで、本居家との対立を生んだようです。が、一般大衆には、寧ろ受け入れられやすい論でした。私も、この考え方が好きです。
じゃ、なんで神社にお墓が無いの?
平田篤胤の考え方は、明治以後、国家神道の基礎になったとも言われています。但し、この時代、神仏分離が政策となり、葬儀は寺の仕事とされました。また、お気づきの人も多いかと思いますが、少し大きめの神社の近くにはお寺がつきものです。歴史を調べると、そのお寺は「別当寺」として神社を管理する立場にありました。従って、神社でわざわざお墓を作ること無く、元々、別当寺だったお寺で行っても不便さは無いことになります。
ただ、神社にお墓は「まったくない!」と言うわけではないと思います(世田谷区の松陰神社にも敷地内に宗派問わずの墓地があります)。
国家神道は、少々、突き詰めた神道の復古主義があると思いますが…ここで論じるのは止めておきましょう。
仏教・神道ともに「プロ」に聴いた話
仏教でも神道でもご先祖様・祖霊は大切にされています。地方の旧家を訪れると仏間にご先祖様の遺影が飾られているところも、まだありますよね。
そして、その最も身近なご先祖様が親です。知り合いの宮司さん、そしてご住職さんに、母が亡くなった報告をしました。その時、お二方が揃って仰ったのが「順番を守れたのは良かった」という事でした。身近なご先祖様より先にあの世で待っていると言うのは、親不孝だと言うことですね。別の言い方をすれば、どんな親であっても、変わり果てた姿を見送ることが人としてあるべき姿ということなのでしょう。
宮司さんも、相談する直前に他に身寄りの無かった叔母様を亡くされた後でした。痴呆も激しく、大変だったようです。それでも見送れたことは幸いだったと仰っていました。
少し話が逸れるようですが…
先日、アメリカで暗殺事件がありました。これに狂喜乱舞するような動画が沢山見られました。これは…、日本人の感覚だから?信じられません。私は、例え大嫌いな某政党の議員や0$((Sな活動家が亡くなっても、心の中では御冥福をお祈りしています。靖国神社も「A級戦犯が祀られている」「戦争賛美だ」と言う集団が居ます。私の親戚では一人、幼少期に戦没した叔母以外は戦災で亡くなった人はいません。でも、戦没者、戦死者は、今、”私達を祭祀を通じて生者と交流し、永遠に近親者・縁者を見守って行くのだとした”とする「縁者」として見守ってくれていると考えています。
死は「無」ではない
と、言うことで、死=無と言う発想は神道にも、ほぼ全ての仏教宗派でも存在していない事になります。希死念慮が強い時には「無くなりたい」と思うのですが…、どうやら、そうは行かないようですね…。
うっちーは、こんな事もやっています。
ご相談ありましたら、どうぞ(ココナラですから、お互いの電話番号やメールアドレスは開示されません)
メールなら↓
心が弱って言葉に詰まる方に文字で対応します 言葉にしづらい方、うつ病の立場で様々な心の悩みを伺います!
電話なら(2つあります)
うつ病の人が出来るだけ丁寧にお話を伺います 精神疾患を理解されない!悩んでいる方に寄り添います!
小さな愚痴から大きな愚痴までお聞きします 思い切って声にしてみる事で、スッとすることもありますよ!
お気軽にご利用ください!
手作り品・工芸品の越境ECサイト 叶願(かなってる)
工房・作り手を募集しています。そしてスポンサー様も!
下のフォームでお願いします!