コンプレックスの塊だった私 – 少年編

恐らく自分のコンプレックスに気づいたのは中学の頃からだと思います。それに気づくと、雪だるま式にコンプレックスの種が増えていった経緯もあります。

ちょっと書いてみます。

中学時代から

ニキビから始まったのかな?

中学に入るとすぐに酷いニキビに悩まされるようになりました。家にいると知らぬ間にニキビを潰している自分がいました。他の同級生にも多少はイジられるようにもなりましたが、兎に角、自分のニキビ面が嫌で嫌で仕方ありません。洗顔をしたり薬を塗ったりもしましたが、一向に良くなりません。出かける前にも何度も洗顔をするくらいになっていきました。

そして、登校拒否へ

そんな自分がダルくなり、学校に行くことが嫌になってきます。他にも「校則」だとか「自主性」だとか言われる事も嫌だったし、教科ごとに変わる教師の中に「合わない」人がいるのも嫌だったのかもしれません。が、兎に角、学校に行きたくない。そんな毎日でした。休んでいる間、何をしていたか。それは、小説を読み、百科事典でも歴史や地理を愛読している毎日。まぁ、親から見たらテレビと洋楽を聴いている毎日だったのかも知れません。
それでも無断欠席はしていなかったのは時代だったのか、それとも親からの厳命だったのかは判りません。毎朝、学校に電話して「休みます」と連絡をして、そうすると「やったー。俺の時間だ!」と気が一気に楽になっていました。母親からしたら、毎日、泣きたい気分だったでしょうし、私も電話が終わるまで呆れた様に応対する学校の職員(誰かは判りません)の声が辛くて仕方なかったのですが、それでも休める事が自分を楽にしてくれていました。

テストだけは受けてたかな?(笑い)

そんな中でも各学年の担任から「テストは受けろ」と言われ、適当に勉強をして(と言っても、まるきり手探り。ちんぷんかんぷん)テストを受けます。中には「テストだけではダメ」と言われて通信簿で空白とされた教科もありました。じゃ、毎日、休んでいたかと言うとそうでも無くて、何となく1/3ぐらいは出席していたように思います。

徐々にイジメが顕著に

同調圧力とでも言うべきか、異質なものを特に子どもは排除したがります。最初は、イジメられてはいなかったのでが、中3になると明らかにイジメが始まります。一応、それほど悪い学校ではなかったので、シャープペンシルを壊されたり、芯を全て折られる、体操着をグチョグチョに水浸しにされる程度でしたが…それでも嫌な学校が更に嫌になるには充分な事柄でした。
特に中3の時には、担任の教師からのイジメが酷かった記憶があります。進路を申告するペーパーを提出させられると、何故か「有作為抽出」をして優等生は「◯◯高校から〇〇大学へ」と読み上げ「ま、頑張れよな!😁」と言い、何人か読み上げられた後で、トリが私でした「うっちーは、どう書いている?」とわざとらしく勿体を付けた上で「高校に言って大学?えー。お前、高校、行くつもり??おい、聴いたか?みんな。うっちーが大学行きたいんだってよ」と火を付け、当然、クラス全員がお祭り状態になります。ここから先は更に事あるごとに「夜間?通信?」などと同級生からイジられるようになってしまいました。更に母・教師・私の三者面談では担任から「親御さんもご苦労されているんでしょうが、甘やかしばかりしているから、こうなるんです」と。心無い言葉が浴びせかけられていたのは、今でも申し訳なく思っています。

その原因を考えてみると

先程も書いたように小説や歴史系が好きで、勉強はしなくても国語と社会はテストでも良い点…平均点をかなり上回っていました。中3の担任は国語です。だから、どんなに良い点をとっても「人を入と書いてるよ。うっちーは」と間違えたところをクラスに発表してくれたのです。
まぁ、今なら問題教師なのかもしれませんね。でも、当時は、私が問題児であって、教師をどうこうする知恵も方法も無かったので、甘んじてうけるしかありませんでした。そして、担任には学校にも来ないで点数取るとは許せないと言う感情があったのでしょうね。でも、高校には受かりました。偏差値も低く名前を書ければ受かるレベルでしたが…大学の付属校です。

卒業式はパス

そんな状況でしたから、卒業式は欠席です。多分、殆どのイベントもパスしていた筈です。修学旅行も。
ただ学校から「証書は渡す必要がある」という事で、式が終わって何日かして校長室で一人卒業式がありました。参加者は覚えている限り、校長に教頭、学年主任と担任、それに母だけです。まぁ、型通りの送る言葉があって、証書を受け取って終了です。簡単なものです。ただ、この瞬間に三年の間、鬱積していた何かが外れた気がしました。そのためでしょうね。学校に行くまでの道のりは、母が先を歩いていましたが、帰りは私がトットと歩いている状態。足に羽が生えていたのかも知れません(笑い)。

高校では

高校は習熟度別学級。で、何の間違いか一応、進学クラスに入れられました。で5月だったかな?模試を受けさせられました。すると国語と社会科は上位に食い込んでいて自分でもビックリした記憶があります。でも、決して良い生徒では無かったのですかね?担任の古典の教師からはしょっちゅうゲンコツを食らっていた記憶があります。
ここから大きく舵を切られたのが高2に進級してからです。英語の担当が「スーパーウルトラサディスティック」教師で、毎度、分厚い宿題を出してきて、これを次の授業までに完遂させないと、前回分+今回分+ペナルティ分が課せられるので、必死になって終わらせました。でも、中学で英語を習わなかったので(笑い)、これを終わらせるのに必死。ただ、付属校であり、名前を書ければ合格する高校です。言ってみれば中学英語のやり直しみたいなもんだったようです。

すると英語の点が上がる。けど

高2の進級では理系・文系に分けられていました。私の夢は理系だったのですが、英語と同様、数学も物理・化学も習っていなかったので、理系は断念。勉強の仕方が分からないですよ。
そこで文系を選択していたので、国語と社会系が得意だった私には、ある意味、ラッキーでした。国語は古典、特に文法を覚えれば良く、社会科は勉強不要。残る鍵は英語だけでした。と、スーパーウルトラサディスティック教師のお陰で点数や順位が順調に伸びてきました。学年でも上位に入るところまで来ていました。
そして、順調に大学も進学確定。
ただ、同級生、マブダチを含む誰一人、私が登校拒否をしていたことをしりませんでした。いや、言えなかったですね。

ここから先は次回に。

ここから先については、次回に廻そうと思います。

お楽しみに。笑い

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