煩悩(笑)の喪失と身体機能の変化

 急進期で起きる様々な症状は一種の症候群のような感じで、枚挙に暇がありません。その対処法は「急進期」でも触れています。一部列挙すると

  • 何をするのも面倒くさい
  • 会話が辛い
  • 大きな音や声に過敏に反応する
  • 動悸が収まらない
  • 食の好みが変わる
  • 便秘や下痢、頻尿に悩む
  • 記憶が曖昧になる
  • 食欲が薬の副作用も相まって過度に高まる事、逆に無くなることがある
  • 自己否定を繰り返す

 中には「面倒くさい」のように「元々の性格だろ?」と言われそうなこともありますが、社会人になって「明日やる」ということはありましたが(笑)、しかし声に出して「面倒くさい」と言った記憶がありません。しかし、急進期の中では口癖のように「面倒くさい」「辛い」を繰り返していました。そのように、通常でも有り得そうな事が顕著に現れてくることも一つの特徴なのではないでしょうか。

食欲との戦い

 当初、精神科に通う以前から食欲が異様に低下していきました。どんな時でも食欲はキープしていたのですが、ご飯を茶碗一杯食べるのも辛いくらいに食欲が減退していき、自然、体重も減っていきます。元々、糖尿病を患っていた身からすれば、内科医に褒められるくらい血糖値などが優良な状況になっていったのですが、一方でパンツもシャツもブカブカになるくらいでうつの症状とは別に体力自体が落ち込んで行くのが判ります。このため、クリニックで向精神薬を調整して貰う事になります。すると今度は過食に入ります。幾ら食べても満腹感が得られず、常に飢餓感に襲われているような感覚になるんですね。食事に出てオーダーすれば「大丈夫かよ」と言う目で見られるくらいに注文をし、食べきってしまう。こうなると糖尿の検査も一気に悪くなります。糖質を大量に取ることで倦怠感も増してきます。このため、精神科で薬を処方して貰う時には常に食欲が話題に上がるのです。うつが落ち着いても、体調が悪くなれば元も子も無いのですから、当然の事なのですが、これが結構辛いものでしたし、回復期に移行してくると向精神薬の量は一緒でも再び過食の状況に入る。つまり、回復することによって薬の効き目が過度にプラスに働くこともあるので、要注意です。これに気づかないでいると、一旦は落ち着いた血糖値が、再度急上昇していきますから、定期的な糖尿の検査では従来以上に数値の変化に注目する必要がありますし、日常生活でも、糖質などの接種には今も注意を払っています。

コーヒーは禁忌だと知った

 向精神薬など精神科で処方される薬の多くは眠気を誘う効果やふらつきを誘うものがあります。いずれにしても「神経」に作用する物質ですよね。その為、アルコールの摂取…要は飲酒は量も回数も減らし、基本、家飲みだけ、それも月イチ程度に留めています。様々な文献やネット情報、そして一緒に仕事をしていた人の中に「うつとアル中」の併発をしている人が多いようです。辛い気持ちをアルコールで軽減させる効果はあるのでしょうが、少なくともアル中になっていなくても過度な飲酒は避けた方が良いと思っています。
 そしてもう一つがカフェインです。その理由の一つが睡眠に対する影響です。うつになって睡眠誘導系の薬が処方される人は多いと思います。私は今でも服用しているくらいです。その逆にカフェインを多く摂取すれば、それだけ睡眠を阻害する可能性が高くなります。そしてもう一つの理由が私にとっては「動悸」です。一度ですが、オフィスで取る水分のために普段ならお茶や水を2リットル瓶で買うのです。が、たまたまオフィスの滞在時間が短くなる時に1リットル程度でコスパの良いものをと探していて目に入ったのがコーヒーのボトル。1リットル弱で値段も手頃だったので、購入して飲んでみると徐々に動悸が高まります。いや、この時点でコーヒーと動悸の関係性は解っておらず、ただ「今日は調子が悪いな」と思っているだけだったのですが、頓服を飲んでも収まらず、オフィスを去って帰宅することにしました。コーヒーはもったいないので飲み干した上でです。
 この時の状況を精神科で話をすると「カフェインは基本、禁忌なんだよね」と言われてしまいました。私、コーヒー大好きなんです。クルマで長距離のドライブをするときでもコーヒーは欠かせませんし、健常(?)な時に自分に気合を入れるためにコーヒーは必要。そしてカフェなどで頼むのもコーヒー。いずれもブラックでガッツリと飲むのが定番です。が、禁忌と言われたのは結構なショックでしたし、カフェインと言われれば緑茶でも烏龍茶でも入っています。その他にはジャスミン茶にでも入っていますよね。だから、この時から、カロリーの他にカフェインの含有もチェックしてから購入する癖が付きましたし、面倒くさい時には麦茶か水を買うようになりました。いずれにしても超不便なことです。

豆乳劇飲み事件

 この他に目立ったのが「豆乳」です。散歩に出たら途中でコンビニやスーパーに寄って豆乳の1リットルパックを買って帰るのです。そして直ちに一気飲み。理由は分かりません。もしかしたら食欲が増減していながら、元来好きだった「お肉」に興味を失って、それの代替として身体が求めたタンパク源が豆乳だったのかもしれません。それまで、豆乳だけを買うなんてことが無かったですし、飲みっぷりも異様だったので妻もかなり驚いて心配していました。幸い、これ自体は大きな身体への影響は無かったので良かったのですが、今でも「なんで豆乳だったんだろな」と異様に思う事だったりします。

近記憶の曖昧さ

 簡単に言えば「注意力散漫」です。無くし物、忘れ物が異様に増えます。財布は数ヶ月の間で3回は落としていると思いますし、MacのACアダプターや加熱タバコのデバイスを忘れて外出することも多いのです。家で決めた場所においた筈なのに消えていたり(笑)、兎に角、自分の記憶に信用がおけなくなります。また口頭で言われたことも、大抵は忘れます。返事もしたのは覚えていても肝心の中身を覚えていないことが多いのです。かなり不便です。特に記憶力には自信があっただけに真面目に「若年性のボケか?」と思うほどだったりします。それだけにiPhonやメモ帳は必須。ただ、それだって面倒臭さが伴いますから、厄介です。

便秘・下痢、頻尿

 うつの診断を下される前から、便秘には悩まされていました。以前は一日一回の健康的なお通じだったのに数週間単位で便秘することが頻発してたのです。これもあって苛つきも増え、職場で「イライラしてます?」と言われることも少なからずありました。精神科での相談事の重要事項にも「便秘が激しく」としていたくらいです。その為、処方薬には下剤も含まれていたのですが、当初はそれも効かない程でした。が、徐々に便通が戻ってくると、今度は激しい下痢が起きるようになります。当然、下剤の服用は中止します。しかし、そうすると今度は便秘。この繰り返しが酷く、外出が怖くなるほどでした。そこで精神科でお願いしたのが「ビオフェルミン」です。少なくとも劇的な改善はないのですが、それでも今は比較的安定しているのは、ビオフェルミンのお陰もあるのではないかと思っています。
 そしてもう一つが頻尿です。先程書いたように水分を大量に補給していますから、オフィスにいる時に頻尿になるのは当然なのですが、外出していて突如として尿意に襲われてしまうことが多々ありました。そうなるとiPhoneでトイレ検索です。街中なら検索しなくてもスーパーやパチンコ屋などでも済みますが、大抵はトイレのある公園を目指して一直線です。が、どうしても言うことを効かずにチビる事も多々。結果として、尿もれパッドをして外出をすることで対策とし、その上で予備のパンツと尿漏れパッドを常時携行しています。元来、トイレに行く回数が少ない方だったので、この突然の尿意には悩みました。老人用のおむつをすることも選択肢に入れていましたし。基本、これはうつの症状と言うよりも薬による交感神経系への刺激が元のようですが、急進期は特に、自分の身体を自分でコントロールできない状況が続きますから、様々な用心が必要です。

自己否定をやめる

 「うつです」と言われると、「俺って(私って)、そんなに弱かったの?」と思う人、そして「なんで『うつ』に俺(私)がなるの?」と思う人がいると思います。そして襲ってくる様々な不安、例えば仕事は継続できるのか?つまり経済的不安、そして社会的にどう見られるのか?や、家族などにどう伝えれば良いのか?と言う不安に苛まされる事があると思います。これが転じると自分を否定することに繋がります。
 自己否定の材料は不安だけではありません。それまで出来ていた当たり前の事、例えば徒歩10分で着いた駅までの距離、これが徒歩20分になってしまったり、注意力が不足して下らないミスが多発したり、例えばこうしてサイトやブログを書くと言う事に集中力が続かず、普段なら1時間で書けたものが2日掛かってやっと出来上がる…途中で放棄するなど自分の「能力」の低下にも自己否定感が募ってきます。
 私自身、精神科に通院しだした初期、医師から「今の自分に10点満点で何点つける?」と聞かれました。毎週「1点」、調子が良くて「2点」しか付けられません。例えば復職をしてもとてもじゃありませんが、以前のパフォーマンスを出すことは無理、その観点で自虐でも謙遜でもなく酷く客観的に見てようやく1点、2点上げられれば上等と言うのが率直なところでした。これで自己肯定することはとてもじゃないのですが出来る状況ではありません。
 しかし、今、回復期にある中で見直すと自己否定をしても何も良いことはありません。人それぞれ「うつ」になるまでの時間は違うと思います。私の場合、振り返ればとても長い時間、崖っぷちにいながら何とか切り抜けて来て、そしてとうとう落ちてしまった。その間、私の周りで私がうつになると思った人は殆どいませんでした。つまり人より弱いからうつになった訳ではありません。むしろ崖っぷちの環境で良くも生き残って来たと言ったほうが良いのかもしれません(笑)。その長い時間を乗り切って来たことを考えると自分を否定する必要は無いのです。寧ろ、自己否定と言う「逃げ道」を模索するよりも不安に対処することを優先した方が良いでしょう。今後、書いていきますし、クリニックやネットの情報でも分かる公的な支援制度が沢山あります。これを調べる事も対処方法の一つです。またクリニックでカウンセリングを受けることも良いかもしれません。少なくとも自己否定することは百害あって一利なしです。

音への過敏な反応

 うつになる前から、テレワーク・リモートワークが多くなりファミレスを利用することが増えました。この数年で電源が使える場所が増えたことは嬉しいことですよね。そして、自宅ではどうしても集中できない、仕事モードに自分が入って行けないときにファミレスやカフェに出かけることでモードの切り替えが出来ると言う人も多いように思います。
 ただ精神科を受診する前から、徐々に「突然の馬鹿笑い」や「グラスが割れる音」に過敏になってきていました。急進期には明らかに動揺が起きるレベルで心身が反応していました。これが辛い。ただでさえ集中力が減退していたり、薬で寝落ちしていたりするのに「ガシャン」や「がはははは」と言うノイズに襲われる感覚になるんですね。
 一つの対処法として考えたのがコワーキングスペースの活用でした。コスパを考えると確実にファミレスより悪化しますが、都内在住だと意外に身近に安価で使えるコワーキングスペースがあると思います。この他、図書館も良いのですが、図書館によってはコンセントの数が少なかったりしますし、喫煙者(の私)にとっては座席を離れる時にPCを持って一々移動して、その度に席を探すと言うのが煩わしいのとリスキーに感じる事が多いと思います。その点、コワーキングスペースは、図書館ほど不特定多数の人が出入りする訳ではありませんし、少しの時間なら(規約的には良くない事とされている筈ですが)私物をデスクの上に置いたまま喫煙所に行くことも可能だったりします。
 また、図書館もコワーキングスペースも(少なくとも私が使っているところでは)私語は殆どないので、馬鹿笑いやグラスが割れる音に過敏になる必要もありません。
 ノイズキャンセリングのイヤホンも多いのですが、ノイズキャンセリングモードで音楽を流していても、それを上回るノイズというものはあるのです。ならば、元々ノイズが少ない世界に身をおいていた方が良いのではないでしょうか。

会話の辛さ

 妻には申し訳なかったのが、会話が辛いと言う状況です。この頃には煩悩だけではなく表情も失っていました。と言っても、表情が無いと言う自覚はありません。ただ、笑顔にしようと思うと、あるいは自然、笑顔になると口角や頬の筋肉が痙攣を起こすのです。人と話しているとカクカクと顔が痙攣するのはキッと異様なものだったのでしょう。
 また、これは今でも続いていますが、横隔膜が痙攣します。横隔膜の痙攣と言えばしゃっくりを思い浮かべるかと思いますが、そうではなく、呼吸…例えば深呼吸やため息をつくとお腹がヒクヒクと動いてくるんです。この呼吸をしたときと言うのが厄介で話をしている時でも起こります。すると宇宙人のモノマネみたいな感じの声が出てくると言う…悩ましき状況になってしまいます。
 そしてもう一つが「声の張り」です。会社員時代…コンサルと言う立場はプレゼンテーションが必須です。当然、自分が考えたソリューション、あるいは愛する会社の製品・サービスを説明するために自分の中にある「プレゼン・スイッチ」をONにして声を張って話します。どんなに自信があってもボソボソと話をしたのでは通じませんし、自信なさげな様子に見えてしまいますから、これは必須です。が、話すことが辛く、いわば毎日の大半が「無言の行」になってしまうと自然、地声のボリュームが下がります。妻にも「聞こえない」と言われるレベルでしか話が出来ません。
 こういった状況が重なるとドンドン会話することが苦行になってしまうものです。でも、これも回復期になってくると徐々に改善されてきます。今は耳の遠くなった父の他、補聴器を付けた方とお話をするのでも声を張ることができるようになってきました。
 ただ、これも先程書いた「プレゼン・スイッチ」みたいなもので気合を入れないと中々難しいのは確かです。なので、普段から大きな声を出すことは難しくても、徐々にマイペースで以前のような声を取り戻せると考えていれば良いかと思っている状況です。
 逆説的に言えば、急進期に無理して大声を出したり表情豊かにコミュニケーションを取る必要は無いでしょう。それで良いんです。と思います。それよりも、徐々に回復期に入っていった時に人とのコミュニケーションの機会を増やしていく。例えば行きつけのカフェやコンビニがあれば、そこで「こんにちは」「ありがとうございます」と挨拶するだけでも良いと思います。それがキッカケで時に雑談をすることもあるかと思います。私の場合、神社仏閣が好きなので、出来るだけ和尚さんや神主さんと会話するようにしています。すると、以前に比べて目が生きてきたとか、姿勢が良くなったとか客観的に回復を教えてもらえるようになっています。
 会話が出来ない、会話がしんどいと言うのは人としてとても辛い事です。が、時間と少しの努力、そして確実な服薬で取り戻せる機能ですから、一時的なものと納得しておけば良いのではないでしょうか。

と、ここまで書いて

 この他にも急進期を思い起こすと厄介なこと、辛いことが山のようにあります。幸い、「生きるのって辛い」と思うことがあっても乗り越えられました。これが一生続くと思ったら絶望してしまうかもしれません。が、急進期を乗り切れば、急速に寛解に向かう方もいるようですし、私の薄紙を剥がしていくような感じですが、自分の回復というものが感じられる人もいます。しかし、校舎であっても焦らず、自分の心が落ち着ける環境、時間を大切にすることが、もしかしたら薬以上に重要なファクターなのではないかと考えています(薬も重要ですよ!)。