鬱々とした気分から抜け出すために

 急進期には自己否定と将来への不安感が繰り返し頭の中で駆け巡っていました。当時を知っている人に聴くと「常に肩がガクッと下がっていて元気なさそうだった」と言われます。
 これを繰り返していてながら薬を飲んでいても、結果は伴わないのは言うまでもないと思います。薬は言わば助け役、自分の考え方が重要です。これはクリニックでも「行動認知療法」として、繰り返し言われていたことです。行動認知療法については機会があれば、書こうと思います。が、ここでは脇において、私にとって重要なポイント、もしかしたら徐々に回復期に入っていたかも知れない時点だったのかも知れませんが…、私の中で徐々に「良くなったかも」と思えるような感覚を持ち始めた事を一言で表すなら「夢」です。
 以前、外国人と仕事をしていた時に「お前の夢って何だ?」と聞かれたことがあります。その当時、既に自分を追い込むだけ追い込んでいたので結果を出すことだけに集中していて…今から思えばうつの瀬戸際にいたのでしょう、そんな私には「夢」なんて事は、寝て見るものでしかなく、兎に角、目の前にある課題を解決することだけで精一杯でした。全く余裕のない状況って、そんなもんだと思います。
 が、実際にうつになり、急進期で自己否定と不安に苛まれている中で「なんとかしなくては」と思っている間は、過去にやってきた実績や仕事量を基準に自分の回復率…と言っては変ですが、どんな水準に自分がいるのかが気になって仕方ありません。が、あるとき、ふと「俺、夢見ちゃいけないんだろうか?」と思うことがあったのです。兎に角、職場に戻らなきゃ、少しでも安定して生活できる水準に戻さなきゃ。と思っていると、職場に戻ったときの不安が襲ってきます。その言わば対抗的な考え方が「夢」だったのです。が、夢なんて考えたこともなく、現実にあることばかりを考える習慣が身についていると「夢かぁ」という、それ自体が壁にぶち当たってしまうんですね。

呼吸を整えてみた

 その頃、ちょうど瞑想というものを始めていました。呼吸を整えることは人間にとって副交感神経を意図的に刺激する唯一の方法です(と、後から医師に言われたのですが)、Youtubeでたまたま見つけたヨガの瞑想、特に「寝ながらできる瞑想」と言うのを習慣にしだしていました。
 座禅なども呼吸を整えるのに良いことなのですが、兎に角、身体がしんどい状態では蓮華座ではなくても、座っているだけで大変です。背中のコリなどに意識が向いて、精神の集中やら深い呼吸を続けるなんてできないんです。そこで「寝ながらできる瞑想」と言うのを見つけたときは「これだな」と思って、しばらく続けたんです。一本で大体20分程度。そんなに長いものではありません。が、それでも、やっている最中に「わっ」と言う感じで続けられなくなる事もしばしば。20分が永遠のように思えるような事もありましたし、今でも時々、そんな事はあります。が、段々と慣れてくると、座って瞑想してみたりもチャレンジしたくなったりします。元が「自分を追い込む」気質だかですかね。少しハードルを上げたくなるのです。
 このハードルを越えた時あたり、まだまだ急進期を脱してはいなかったのですが、趣味の神社仏閣巡りで近場の街に出かけてみました。すると、そんな中で訪れたある神社で出仕(神社のお手伝いをする方)さんから「拝殿に上がっていく?龍の絵が有名なのよ」と言われます。突然の声に驚きながら、そして萎縮もしながらも、ここで引き下がっては神社仏閣マニアとしては駄目だ!と言う心の声(笑)に「では、遠慮なく」と返事をして拝殿に上がります。そして拝見すると天井一面に巨大な龍が描かれているのです。全体に煤けたようになっているのですが、その目は爛々と輝いていて圧倒されそうな雰囲気です。すると出仕さんが「これ、鮭や花魁を書いた高橋由一の絵なの」と言われたのです。正直、「鮭」は知らなかったのですが「花魁」は知っていたので驚きです。しかし高橋由一と言われてもピンと来ませんし、まして花魁は明治時代の西洋画。天井の龍は日本がで「狩野某」と書かれています。すると出仕さんから「どうも、狩野派で修行をしてたんだけど、その後で西洋画に移ったらしいんだよね」と言われて納得しました。そして写真を撮らせてもらって拝殿から出ようとしたら「ここね、いつでも来ていいから。瞑想したりする人もいるからね」と言われたのです。ちょうど、瞑想を習慣にしだしていた私には凄いタイミングだったと思います。そこで一ヶ月ほどして再訪することにしました。

ポジティブ思考への移行

 元から神社仏閣が好きだったこともあって、良い神社を見つけた事は幸いでした。そしてYoutubeのヨガ瞑想の中で「サンカルパ瞑想」と言うものに出会います。これって、いわゆる瞑想として呼吸を整えるだけではなく、自分の願望を叶えるという効果があるという…ちょっとスピリチュアル的な要素を伴う瞑想です。が、その説明で「願望を肯定的な言葉で唱える」と説明がありました。例えば「怒らないようにする」と言うと怒っているイメージが残るので「穏やかに過ごすようになる」と言う形で言い換えていくのです。これって行動認知療法の一つでもあるので「ちょっと面白いな」と思ってやってみることにしました。そしてもう一つの要素が「言霊」です。これって神社仏閣では、当たり前に言われる要素ですが、馴染みのない方にはやはりスピリチュアルかもしれませんね。ただ、言霊の中には「不幸な事」「悪口」は言わないようにする要素もあり、この言霊を考えていると、徐々にネガティブな事を思い出したら「ナイナイ」と思考から外して行くようにします。また思考の中で「ネガティブな言葉」が思い浮かんだら言い換えて見たりすると、徐々にポジティブな思考が走り始めました。
 この頃から、医師からもリワークを勧められるようになりましたね。(これは少し脇に置きます)
 そうなってくるとサンカルパ瞑想で思い浮かべる事も近い事よりも、もっと夢のような事が思い浮かぶようになってきます。そして、いつの間にか自分の中で「うつを治そう」と言うよりも「うつと共存してみるか」と考えるようになってきました。
 一般の病気でも同じですが「闘病」というとストイックな雰囲気が漂いますが、共存ならマイペースでいけそうな気がしてきます。これ、かなり自分の心理には大きな変化に繋がったように思います。もちろん、これでうつらしい症状が消える訳ではありません。が、気分がグレーな時には無理をせず、薬が効いているときなどには前向きに「夢」を考えるようにしまます。すると徐々に、職場復帰以外の道を探そうという気が起きてきました。ここから、自分の中では回復期に入ったと時期だと思っています。

様々な回復の兆候

 これは向精神薬などの作用もあり、食欲が回復してきます。場合によっては、食欲過剰になり現象し続けていた体重が急速に回復してきます。私の場合、食欲が過剰になり始めて急進期に減少し続けていた体重が回復から増加へと転じてしまいました。また、人によっては急進期の食の嗜好の変化から「どうして、あの頃は◯◯ばかり食べてたんだろうね」という状態から、以前のような嗜好へと戻るようですが、私の場合は変化したまま。それでも、食べられる事を楽しめるようになったのは大きな喜びとして捉えました。
 もう一つ印象的だったのは、歩く速度の変化です。急進期にはふらつきながら時速1kmだったものが、2km〜3kmへとスピードアップします。それもふらつきを感じないでいられます。また、度々、膝に手をついて休みながら歩いていたものが、それほど長い距離でなければ休み無しであるき続けられるようになりました。他の人に抜かれながらも、自分の中で回復を実感できる出来事でした。
 こうなると、以前ほどではありませんが、少し遠出するのも怖くなくなり、趣味の神社仏閣巡りも少しずつ復活してきます。「行きたいなぁ」と思ったところ、Google Mapを眺めながら見つけた神社へ参拝したくなってくることなど、自分の好きな場所へ行く欲求も出てきました。
 こう考えると、急進期に閉ざされていた「煩悩」が復活してくることが回復期の特徴なのかもしれませんね。