「普通」ってなんでしょうね?

 普段から私は「普通」という単語は使わないようにしているつもりです。例えば「普通の人」って、友人でも家族でも、良く合う店員さんでも見たことありますか?誰でも違っていると思うんですね。だから、なんか「普通は」とか言われると違和感を感じるんです。

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健常者と障害者を区別する言葉?

 健常者を「普通」、障害者を「普通ではない」とするなら、「健常者」「障害者」と呼び分ければ充分な気がします。わざわざ、健常者に「俺たち普通の人は」と言われたくないし😁、障害者の立場から「俺は普通じゃないから」と言う必要も無いですよね。更に言えば、例えば「うつ病」でも様々な症状や経験、原因があるので一概に「うつ病」と言っても、「普通のうつ病」って何よ?って思うわけです。
 同様に「障害者」だって様々な障害があるわけで、目で見て判る障害もあれば、私達のような精神疾患だと中々、目で見て判らないと思います。先日も「へぇ。で、いつ治ったの?」と言われた私ですしね😁。薬のお陰でゆっくりでも歩いていられるし、公共交通機関で優先席に座ると「えっ」みたいな視線を感じることはありますが、ヘルプマークを上にして見せつけるように座ります😁。
 というわけで、健常者を「普通」、障害者を「普通ではない」(場合によっては異常)と言う必要は無いと思っています。

マジョリティとマイノリティの区別?

 マジョリティとマイノリティを区別する言葉だとすれば、これはこれで変だと思うのです。だってマジョリティ(マイノリティ)とは何なの?となりませんか?例えば
 ・思想的マジョリティ
 ・性的マジョリティ
 ・民族的マジョリティ
 ・宗教的マジョリティ
これ、少し考えれば判りますが、環境(例えば場所)が変わると、大抵、マジョリティとマイノリティとが入れ替わります。
 同じアメリカでも、一般に東海岸は保守派がマジョリティで西海岸はリベラルがマジョリティ。
西側では共産主義者はマイノリティですが、ちうごくなどではマジョリティ(なんでしょうね)。
 東京なら新宿二丁目なら同性愛者がマジョリティな時間があったりしますし、民族国家では、その民族が国の中ではマジョリティ、しかし国外に出ればいきなりマイノリティ。
 中東や東南アジアならムスリムがマジョリティになったりしますが、南米に行けばマイノリティ。
 つまり、マジョリティかマイノリティかは「良識」あるいは「固定的な概念」として一定していないわけですよね。だから「俺、マジョリティだから普通」なんて言うのは、言っている人の狭い世界では通用するのでしょうが、一歩外に出れば「お前、マイノリティやん」となるのです。
 これを逆利用して「マイノリティだから保護しなきゃ、差別」なんていうのはサイレントマジョリティーと言う本でも紹介されていたりしますが、別の機会に😁。

結果、個性なんじゃね?

 今、うつ病を抱え、先日はパニック発作も経験して医師と会話しました。「パニック障害つける?」(医師)、「いや、取り敢えず処方も変わらないし…余り複雑になると頭がいかれちゃう…あ、いかれてるかもですが😁、今は止めておきます」(私)。と。
 当然、パニック発作が頻繁に起きたり、稀でも命に関わるような思いをする人ならパニック障害として診断してもらうことは重要だと思います。ただ、私の場合、軽度の発作でしたし、前回の発作は動悸がトリガーになっていたので、動悸を起こさないように暮らしています。
 そんな中で考えたのが「まぁ、うつ病って言っても、これも個性じゃんね」と言うことです。時々ですが「うつってどうなる訳?」だとか聴かれたり、先日は老父と「年を取るのと精神疾患のどちらが大変か」を話した時でも必ず言うのは「私の場合は」です。また人から聴いたり文献・サイトで見知った情報なら「そういう話もあるようですね」とつけます。
 「うつなら普通、こうなんですよ」なんて医師じゃないんで判らないです。Xで見たり聴いたりしていて、多数の意見が寄せられても統計学的には多数派とは言えない訳ですし…。だから「そういう話を聴いたので」で留めます。変な話ですが、それほど付き合いの深くない人とうつの症状を会話している時に「私はあなたと違って」と言われても、本当に違うのか、それとも言っている人の受け取り方が違っているのかは謎です。だって、その人のうつの悩みが何処にあるかは判っていたとしても、その頻度やその他の症状の起き方は判らないですから。
 「あなた普通じゃないよ!」と言うのはあまりに失礼な気がしますし、私が言われてもナーバスになってしまう気がするので「普通」は使わず「あるある」でも良いですし「こういう話もあるんですよね」でも言い換えるようにしてます。「普通じゃないよ」は、そんな言葉を投げかけてくる人に、そっくりそのまま…いや、その言葉の前に「人として」と付けてお返しすれば良いと思いますしね😁。

治れば幸い。治らなくても個性で押し通すつもり

 何度か聴いた「年をとってからのうつ病は治りにくい」と言う話は、本当かもしれませんね。今のまま、大抵は安定していてくれるんなら、それでもOKです。ただ、最近、ちょっと食べ過ぎかなぁ…糖尿の検査が怖いわ💦。
 なんですけど、それでも自分は一般的に生きている人。言ってみれば障害者手帳を手にハートマークをバッグに付けて歩くタイプの普通の人だと考えていくつもりです。
 一杯働いたし、今でもボランティアですが結構、働いているかも😁。のんびりマイペースで生きている「うつ病」クラスタに纏められた個性を持つ人として楽しみたいと思っています。
 これ、別に強がりじゃないんです。実際、メンタルが変動する様子を後で見返したりするのが楽しいことがあるんですよねぇ…。それが判ってくれば、心の安定感…と言うか復元力が高まるような気がしています。

 今日も最後までお読み頂き、ありがとうございます。最近、申告なんかもあって、おやすみすることもありますが、今後ともよろしくお願いします!

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