マイノリティとマジョリティ

 多数決が絶対なのか、それとも少数派の意見も聴くべきなのか、ちょっと難しい面もあります。
が、敢えてちょっと考えながら書いてみたいと思ってキーボードを叩き始めました。

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まずは自分の(政治的)スタンスを明らかにしておきます

 恐らく政治的な側面が出てしまうので、自分のスタンスを冒頭で明記しておきます。とは言っても、明確な尺度はなく、時々、ネットの「思想診断」みたいなものをやると健常の頃から「リベラル」と出てしまうタイプではあります。が、今「リベラル=サヨク」と言う状況が続いているので、余りこの呼び方は合わないと思います。
 私自身が敢えて「レッテル」を貼るなら「大衆右翼」「保守派」でしょう。これに脊髄反応する人は「極右」「差別主義者」と別のレッテルを貼ってくださいますし、また「ネトウヨ」と言われることもあります。すでに聞き飽きたので、これらに反応することはありませんが、決して「極」がつく右翼では有りません。これは一般的な政治感で「極」が付く左翼と右翼は親和性が高いこと。例えば一般には極右の思想家と呼ばれる北一輝が実際にはコミンテルンと言う共産思想に近く、また人脈も有ったことから明らかだと思っています。また「差別主義者」と言うのも当てはまりません。私自身のキャリアの多くは外資系のIT企業で欧米のみならずインド、パキスタン、ネパール、ベトナム、韓国、中国、フィリピン、シンガポール、台湾(思いつく限りですが)の人たちと仕事をしてきました。同僚の日本人の中にはインド人の博士にタメ口をきく輩もいましたし、白人が黒人・アジア人をバカにする態度も見ましたし体験もしてきました。が、私自身が彼らの事を同僚として基本は対等な仲間として付き合ってきました。当然、宗教や文化的差異から、区別せざるを得ない面はあります。食事やアルコール、ゲップやくしゃみなど、文化的に受け入れられない事もあることを理解していなければ付き合う事ができないからです。
 では、私が大衆右翼と言う枠にいるのかと言えば工藤美代子女史の書かれた「悪名の棺」という笹川良一氏の伝記を読んだからです。彼はメディアでは極右・軍国主義者として扱われていましたが、彼が目指していたことは日本人が日本を好きだと言える環境を作ろうとしていたこと。そう読めたからです。そんな彼が、日本を好きなら大衆右翼だという思想がありましたので自らを大衆右翼と書いています。ですから、現状ある日本という国を私は大好きです。

「マジョリティ」が全てを決することが正しいのか

 基本「民主主義」と名のつく国は数多くあります。朝鮮民主主義人民共和国やベトナム民主共和国など共産主義国家でも「民主主義」と名乗っています。が、私達が考える民主主義とは質が異なります。質とは何かと言えば、共産主義における民主主義は「民主集中制」です。つまり、一定のマジョリティが支持している政権が全ての権限を持てると言う理屈になります。しかし、実際にはプロレタリアート独裁を叫んで成立している共産主義ですから、私達が知っている普通選挙もありませんし、思想の自由や信教の自由もありません。但し、彼らは「マジョリティが支持している」と言う掛け声の元に全てを決する「政党」を持っています。つまり、私達日本人は政党の上の概念の上に政権や国がありますが、彼らは政党が最高権力であって、政権も国も下位の概念になります。実際にアメリカ軍はシビリアンコントロールの元、行政府の一部として存在していますし、その上の概念には軍法、そして憲法があります。憲法が国を示すわけですね。私達の自衛隊も行政機関の一つです。自衛隊法があり、それは憲法のもとで許される自衛権を行使出来る仕組みになっています。
 しかし、共産主義国の場合、軍は共産党に属しています。例えば北朝鮮軍と呼ばれている軍隊は正しく理解すれば北朝鮮労働党軍なんですね。ですから、指揮権は党に帰属していて憲法も法律も関係ありません。党の規約に基づいて行動が決まるわけです。
 これはシビリアンコントロールといえるかは非常に疑問です。何故なら一般に自由主義諸国が考えるシビリアンとは文民であって、これは普通選挙、法の定める最低限度の要件に見合ってさえいれば投票も立候補もできる政治家がコントロールする事なのですが、共産主義(面倒くさいので、こう書き続けていますが、独裁国家も同様です)はそのような制度はなく、選挙に出るためには共産党が認めた政党から出馬しなければなりません。それに対して投票するのですから、結果として共産党がマジョリティとして支配し続ける事になる訳です。
 と、軍と支配機構の事を自説を交えながら書いていますが、この根底にある民主集中制は非常に危険だと言えます。つまり「共産主義」の思想の中で正義ならば、マイノリティに対する扱いは非常に苛烈になる(例えばウィグルやチベット)のは知られていることですし、国よりも上位と言うことは共産主義が思想ではなく「信仰」になっていると言う意味です。ですから、このような国では「宗教は麻薬」などとして基本は認めていません。認められるのは「共産党が認めた宗教」だけです。ですから宗教的マイノリティにも苛烈な事が起きています。
 これは極端な例ですが、マジョリティだから何をしても良い、マジョリティなのだからマイノリティは言うことを聴かなければならないと思うのは、大衆右翼の私からみると狂気にすら思えるのです。

自由主義諸国における議会民主制とマジョリティ

 では、自由主義諸国ではどうでしょう。先程も書いた通り「選挙」が非常に重要です。安倍元首相が海外で高い評価を受けていた一つの理由は「選挙で勝ち続けていた」事にあります。この間、自民党に投票し続けていた私は政治的マジョリティの立場にあったのでしょう。
 では、安倍政権に対する一般の評価、特に大衆右翼的な評価が彼を「完全保守」と見ていたかと言えば、そうではありません。寧ろ「中道」です。しかし、彼よりも右側で大衆的な政党や指示できる政権候補がないので、安倍政権が最長記録を更新できるほど選挙に勝てていたのだと思っています。またリベラル系と思う論壇人の中にも「安倍さんは政治は保守だけど、経済政策などはリベラルだ」との意見があります。一般に例えば米国の「ティーパーティー運動」などでは小さな政府を目指し、経済的弱者に対する支援などには無関心な人たちが少なく有りません。しかし、安倍政権では、給与増額など本来は労働組合が為すべき企業との交渉を政権が行う。コロナでの助成金政策もリベラルを自認する野党よりも積極的に行ったなどが例示になるでしょう。
 このように、マイノリティや弱者に対する施策を行う事は選挙対策としても重要ですし、その事で経済が上向けば、当然、国民も投票せざるを得ない(他がやらないから)と言う状況が生まれます。そして、これが実績になって国際的にも「強いリーダー」と言う像が出来上がると言う仕組みです。これは自由主義における選挙の効果としては好例だと考えます。
 一方で、安倍政権以降の自民党、また前後しますが自民党が下野した後の民主党共に選挙が出来ません。正確には解散総選挙が出来ません。これは「弱いリーダー」だと自覚しているからでしょう。政治家には任期があります。但し衆議院は総理の専権事項として「解散権」があり、総選挙が行なえます。これで国民に信を問うて議会・議院で意見集約が出来ない時に、国民が後押しをした政党の意見を通りやすくすることができるようにするわけです。が、弱いリーダーがこれをやると、議席を失ってしまいますから自らの政策を押し通すどころか、寧ろ逆に野党側の政策が通りやすくなるリスクも有るわけですし、(現状がそうだと思うのですが)例え野党が勝てなくても、自党の議席が減れば「退陣論」が噴出して、自らの総理大臣と言う基盤を失うことに成りかねません。だから弱いリーダーは選挙ができませんし、海外からも評価が高まらないと言う悪循環を起こします。
 このように選挙というものは自由主義諸国において非常に大きな「力」になり得る訳です。その力の中にはマイノリティも含まれることをお忘れなく!

世論調査と選挙・政治の違い

 民主党が政権を奪取する前、彼らが良く口にしていた言葉が「直近の民意」でした。それは何かと言えば大抵の場合「世論調査」です。ですが、今でこそ明らかになっている部分がありますが、世論調査は調査機関(メディア)がバイアスを掛けた質問設定や質問対象の環境づくりを行い、それに答える形になります。このバイアスが追い風になったのが民主党の政権誕生だったと考えています。
 逆に、いくらバイアスを掛けても安倍政権は倒れませんでした。支持率も比較的高いポジションがキープできました。この違いは何でしょうか?
 一番大きいことは「ネット」だと考えています。ネットを使う事で一次情報、あるいは、それに非常に近い情報を自分で取ることができます。メディアが報道するよりも先に国際情勢や国内情勢を知ることができるようになった訳です。
 この事は大きな変化だったのでは無いでしょうか?
 ただ、現状を考えると岸田首相は「弱いリーダー」の状況です。世論調査の結果も芳しく有りません。余裕で勝てそうな地方の選挙でも苦戦を強いられているという状況。メディアの圧力も強まっています。では、解散総選挙をしたら大敗するか?しないでしょう。その理由は、先程も書いた通り野党が何もしないからです。
 このように、世論調査が選挙の結果に直結するのかと言えば、それは全く違います。また、世論が何かを決するような事は日本では憲法の国民投票以外、国政ではありえません。ですから「世論の趨勢が」というのであれば、それを実現する政党や政治家を育て、立法する必要があります。
 それができれば悪法でも法です。それが出来なければ単に世迷い言で終わるのです。

ところで選挙に行ったことありますか?

 ただ、日本の政治で弱い面を一つ上げると「組織票」です。宗教・職域・企業・組合などなど様々な政治圧力団体が存在します。一方で、投票率はどうか?となると低い。最近では国政選挙でも50%を割り込みます。地方選挙は惨憺たる有様です。本来は生活に関わる地方選挙こそ関心を持ってほしいと思うのですが、実態は、この「ザマ」です。ですから、組織票がものを言うわけです。
 もし、先程言ったように「世論の趨勢」と言いたい事があるなら、まず選挙に行きましょう。そして、その時に自分が思う政策を掲げる候補者にどうぞ投票してください。「どうせ選挙なんてやっても、何も変わらないじゃない」と言うなら、このBlogを最初から読み直してみてください。
 私は少なくとも民主党政権から安倍政権に代わり、菅政権を経て岸田政権になった、この様子を生で見ていて選挙はとても重要だと知っています。

 今日も最後までお読み頂きありがとうございます。

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